国会議事録削除という政治統制

反軍的な演説が議事録から削除されるという事例は、戦前の斎藤隆夫議員の演説の例に限らず、戦後も時々発生しています。

たとえば、反軍的な演説とまでは言えないかもしれませんが、1997年4月11日、当時自由民主党幹事長代理の野中広務議員*1が、沖縄特措法改正の採決直前、衆院安保土地特別委員長として委員会報告を行った際に、「大政翼賛会にならぬよう」などの発言が国会議事録から削除されるということが起きています。
以下に引用するのは、野中広務委員長の発言中、議事録から削除された部分の一部です。

野中広務 素顔と軌跡 /第九章政権中枢 大政翼賛会
http://www.ganism.com/gogai/nonaka52.htm

野中は、昭和三十七年(一九六二)沖縄の那覇空港に降り立った。当時は占領下で、米軍飛行場の片鱗にある民間飛行場のようだ、と感じながらタクシーで宜野湾(ぎのわん)市に向かっていた。
京都府出身の部隊が終戦間際、最激戦地・宜野湾で猛攻撃を受け、二千五百余人が戦死した。その慰霊碑を嘉数(かかず)の丘に建立しようと考え、訪問したのだった。
その途中、タクシーの運転手が突然、ブレーキを強く踏んで車を停め「あそこのサトウキビ畑で私の妹が殺された」と言ったかと思うと、急に泣き出した。号泣はしばらく止まらなかった。
報告をしたあと野中は突然、声を高めて「この際、一言、発言をお許しいただきたい」と述べ、本会議場が一瞬静まるなか、タクシー運転手の心情に触れたあと、異例の演説をした。
  
その時の光景を思いながら日米安保体制の堅持がここに新しい一歩をしるすとともに、沖縄について様々な振興策が、今日まで橋本総理を先頭に誠実に行われてまいりましたけれども、これから長い歴史の中で、たいへんな痛みと犠牲と傷を負ってきた沖縄県民に対して、この法律が新しい沖縄振興のスタートになりますように、そして多くの皆さんのご賛同を得てこの法律は成立しようとしています。しかし、この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります

上記情報のソースは下記の本です。

野中広務―素顔と軌跡 海野謙二著
野中広務―素顔と軌跡

下記画像は、「大政翼賛会」発言が削除された野中広務委員長報告部分の衆議院議事録のキャプチャーです。(国会会議録検索システムより http://kokkai.ndl.go.jp/)
発言は太い線に変更され“発言は無かった”ことになっています。
国会議員はその言動が議事録に記録され得るというところに、一般の人との違いがあるのですから、議事録が削除されるということは、その限りにおいて議員としての生命を絶たれたのに等しい言えます。

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*1: 野中広務議員の言動すべてが正しいと考えているわけではありません。沖縄特措法における委員長としての権限行使も含め、常に民衆に顔を向けて政治をしていたとは思いませんが、弱者保護という政策姿勢については評価できる部分もあります。