なぜ大日本帝国憲法の「言論の自由」は機能しなかったのか

 
奇しくも社民党の党首会見でも触れられていましたが、大日本帝国憲法にも「言論の自由」はありました。
 

大日本帝国憲法
第二十九条
日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

印行は印刷して発行すること。結社は共通の目的をもって組織された団体や組合を意味します。
大日本帝国憲法と現行日本国憲法との違いはただひとつ、「法律の留保」(公権力に対する制限である基本的人権に対して法律によって認められる例外)があるか否か、という点だけです。
「法律の留保」というのは、国民の人権に法律で例外をつくることができるということです。社長の決定を平社員が例外を作ってごまかすようなものですね。
大日本帝国憲法には「法律の留保」があったために、言論の自由表現の自由という原則が例外になり、例外が戦争遂行を理由に原則へと転倒したことは、歴史事実が示している通りでしょう。
2003年4月26日、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」で、田原総一郎氏が有事の報道統制について規制に肯定的立場から議論し、大日本帝国憲法日本国憲法との違いについて話をしていたことがあります。
以下、北の系より抜粋転載。
 

■北の系
http://zirr.hp.infoseek.co.jp/

資料/朝生/有事法制と報道統制
http://zirr.hp.infoseek.co.jp/020256.html

田原:(有事に表現の自由があるかどうかという議論になって)表現の自由なんか無いよ、そんな。(一同失笑。田原急に大声で) それ違うよまったく! イギリスだってね、BBCが有事の時、戦時と平時は分けてる。で戦時の時は軍事機密は放送しないんですよそれは! 報道しないの! (※引用者註:イギリスにはスパイ防止法がありますので、BBCは戦時/平時にかかわらず軍事機密は放送しません)
原口*1:それは公共の利益とのバランスで…
田原:軍事機密も放送していいということにはならない!
原口:そこは曖昧になるところがあると思うんだよね。
田原:じゃあ報道の自由とね安全秩序とどっちが大事? この場合有事の時に、報道の自由と国民の安全秩序とどっちを取る?(と河野と原口に顔を向ける)
一同:…(騒いでいた一同が一斉に沈黙)
【略】
田原:もっと聞きたいのは、こんなことはCMはさむ時にぐらいに説明すればいいんだけど、明治憲法と今の憲法がどこが違うのかと言うと、明治憲法にも表現の自由報道の自由はあるんですよ。ただ、法律で守られた範囲内での自由。
河野*2:そうそう。
田原:いまは法律の外、つまり憲法で基本的に守られている。そうすると、有事であろうとなんであろうが、つまり報道の自由は有るんですよ。この日本国憲法は。(一同頷く)そうするとね、軍事秘密も報じていいわけだよ、この場合。
一同:…(一同沈黙)
【略】
田原:もっと言いましょうか? あのね、日本の自衛隊の機密を漏らす時にはたぶん三年になる。でもアメリカの機密を漏らすと十年なんですよ。こんなバカバカしい国があるのかと。河野さんそうでしょ?
河野:(笑)
田原:逆に言うと、だからアメリカは10年程度の刑の機密しか日本にはくれないんですよ。向うは死刑だからね。つまり本質的にね、日本の自律なんていうことを言うのならね、そしたら単純なことですよ、報道の自由と秩序と安全とどっちが大事かなんていうことを、ちゃんと答えてもらわなきゃ。
一同:…(一同沈黙)
森本*3:だからそれを考えるカギはひとつしかないんですよ。
田原:何?
森本:国家の安全保障と言う名においてすべてのことを統制するということなんですよ!

 
人権は、例外を一度でも認めれば、その瞬間人権としての機能は失われます。法の運用によって例外は原則に転じてしまうからです。例外を認めないということ。それが人権の本質です。
大正時代から昭和の初期までは、女性の裸体画なども描かれましたが、戦争によってそれらは風俗を乱すものとして規制され、画家のほとんどが徴兵され、多くが戦死しました。
戦前にも一定の自由があり、多様な文化があり、民衆はそれを享受していました。
しかし、戦争がなにもかも消し去ったのです。「法律の留保」というたったひとつの例外があったがために。

───────────
国会で政府が納税者番号制度の導入(民主党は以前から納税者番号制度の導入賛成)を明言したというニュースとかも気になりますが、今日はここまで。

───────────