鳩山改憲試案:議員主導による改憲論の限界について

 
鳩山改憲試案については、補完性の原理というか「私的自治原則」を憲法原理とするという理念には賛成。賛成できるのは理念の総論までで、各論や方法論はどうなのかというところ。
これは鳩山試案に限りませんが、改憲しなければ私的自治原則による公権力の規律が不可能なのかという点について、私は疑問なしとはしません。だって議員なら、補完性の原理を満たした地方自治法国家行政組織法を議論して改正すればそれで終りじゃないですか。改憲して違憲立法を待って立法するのは時間がかかりすぎです。というか時間稼ぎ?
改憲よりも政権交替が先でしょう。政権交替して検察警察も含めて全省庁の官僚人事を課長クラスまで一掃し、最高裁人事も全部一掃すれば、改憲した後で立法できることの大半は解決するでしょう。議員として立法の努力をしないで、一気に改憲にすすむあたりの発想が、私には理解できません。
補完性の原理を実現したいなら、まず政権を交替し、法律を改正するのが先です。首班を指名して法律を作るのが議員の仕事です。別に鳩山議員に対してだけあてはまるわけではありませんが、
 

改憲とか言ってないでとっとと仕事をしろよ。

 
ということです。
補完性の原理を導入した憲法を作っても、それによって政府の解釈改憲や現行諸立法が無効にならないなら改憲した意味がありません。法律や政府の政策の範囲内で憲法をつくるようでは意味がありません。行政命令や法律を無効にするためのルール。国民の公権力に対する命令。それが憲法なのですから。
丸激で鳩山議員自身「国会内で相手にされるかどうかが問題で…」と言っていましたが、残念ながら、自民党議員の改憲案同様、議員から相手にされない
 

鼠が提案する“猫に鈴”

 
ではないでしょうか。「猫に鈴」は鼠にとって良いアイディアですが、そのプランを誰が実行するのかという問題を解決していない。
「ニワトリが先か卵が先か」ではありませんが、改憲が先か立法修正・政権交替が先かという問題があって、まず議員を入れ替え、首班を変え、政権を変え、最高裁判事を変え、判例を変え、立法・行政・司法が率先して補完性の原理なり私的自治原則に基く国家体制に変え、そういう社会現実があって改憲するのが穏当な順序ではないですか。
日本の議員主導の改憲論は、喩えるなら子どもと孫の名義で1000兆円の借金をして遊んでいるダメオヤジがいて、ダメおやじがいきなり「借金して浪費しないように改憲しよう!自分の酒代は自分が稼ぐぜ!」などと酒を飲んで赤い顔で言い出しても(別に中川経産大臣@ノンベだけを指して言っているわけではありません)、子どもに「ダメおやじがなに言ってやがる」と思われるだけで、説得力がありません。
だから鳩山試案についても、自民党筋の改憲論同様、国民からこういう声が出るのではありませんか。
 

改憲の前例を作りたいだけなんじゃないの?

 
実際、鳩山改憲でできることは、現行憲法でもできます。地方自治法の改正然り、外交方針の転換然り、裁判所の憲法解釈然り。裁判所の憲法解釈なんて、検察と警察の主要人事を一掃して最高裁判事を全部入れ替えれば変ります。それをする政権が日本に無いだけの話。

改憲によってどの悪法が違憲立法で無効になり、政府のどの政策が無効になるのか。それを示せば国民の関心は高まるでしょう。
例えば、「憲法に国権による盗聴を禁ずるという規定を設けることにより盗聴法を無効にします」とか、「データベースの連結禁止を原則禁止にしてリスク負担意思がある場合に連結できることを憲法に明記することにより住基ネットの強制が無効になります」とか、「自衛権の発動は専守防衛に徹し、いかなる場合も国外派兵を禁ずるという条文を憲法に追加することによりイラク派兵を無効にします」とか、「いかなる場合も例外無く他国への基地提供や兵站提供を認めないという規定を作って沖縄から基地を撤廃し、イラク派兵を取り消します」というように、具体的に無効となる立法や行政行為を示せば、国民の改憲への関心は高まるのではないでしょうか。
もしそうした議論をすれば、解釈改憲を続けてきた政府の憲法解釈を否定することになりますし、解釈改憲を前提に法律を作ってきた議員の立法活動を否定すことにもなり、国会議員の首を締めることになります。
しかし、それを避けていてはいつまでも憲法論議に国民が参加しないという状態は続くでしょう。
政府や議員の活動をいかに制限するのか。それが改憲の本義である以上、自らの活動を否定しきれない政府や議員は、改憲本来の争点を外して改憲を議論しつづけなければなりません。そこに、議員主導の改憲論の限界があると思われます。
議員主導の改憲運動に対する国民の無関心や冷ややかな目、あるいは冷笑があるのは、
 

どうせ改憲したっておまえらの都合で解釈改憲を続けて保身するんだろ

 
と思われて側面もあるのではないでしょうか。
改憲運動は政府や議員が作るものではありません。本来改憲は、国民自身によって作り、実行されねばならないものです。改憲手続きは国会による議論を経ることになっていますが、本来改憲を求める主体はあくまでも国民自身です。
しかし現実には、国権を強化するような国粋主義的・国権的な改憲運動ばかりが存在し、国権を制限するような本来の意味での改憲運動がほとんど存在しません。つまり「人権強化と国権に対する統制としての改憲運動」ではなく「護憲運動」という形で国粋主義改憲に対抗せざるを得なかった。そこに改憲の困難さがあります。
改憲による国権制限ではなく護憲運動という形になった政治事情は、やはり「解釈改憲」「結果統治主義」という日本型改憲システムの存在にあります。
日本は過去数十年に渡って改憲しなかったと言われていますが、明文法としての憲法はたしかに改正はされていませんが、実際には数百立法にも及ぶ解釈改憲の連続であり、毎年の国会の立法と大臣答弁によって改憲されているような状態です。つまり、統治の結果によって事実的な憲法秩序が形成されているのです。前例や判例憲法規定よりも重く受けとめられ議論されるのはそのためです。
本当は重大な解釈改憲であるのに、それを「改憲」とマスメディアが呼ばず、解釈改憲の問題を追求し続けない。それが問題です。
「護憲」という発想は、「解釈改憲」というものがあって出てくる発想で、憲法を解釈する側から解釈改憲がなくなり憲法を文字通りの意味で解釈して実行する(たとえ自衛隊日米安保を廃棄する)ようになれば、護憲という発想も出てきません。
解釈改憲と護憲は表裏一体のものです。というようなことも、マスメディアは伝えない。議員だけではなく、メディアにも、憲法と解釈、ホンネとタテマエの使い分けがあります。*1
そういうメディアの問題も含めて「改憲」の問題が存在するのですが、残念ながらメディア問題について多く言及してきた丸激でさえもその点についてはスルーしていました。(やっぱり丸激は神保さんがいないとダメだなァ…。)
丸激で宮台氏が「鳩山改憲試案」を褒めちぎってましたが、まぁゲストなので誉めているところもあるのでしょうが、「鳩山改憲試案」をあまり誉めすぎない方が良いのではないかな。
 

鳩山由紀夫衆議院議員
http://www.hatoyama.gr.jp/
憲法試案
http://www.hatoyama.gr.jp/cont03/tes_frame.html
はあとめーる
衆議院議員 鳩山由紀夫メールマガジン          
2005年第6号(通算第183号) 2005/2/10
http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200502101850000000074979000

お待たせしました!
と言うほどみなさんがお待ちになっておられたとは思いませんが*2、漸く「新憲法試案」(PHP研究所)が世に出ることになりました。幸いにも昨日から今日にかけて、外国特派員協会電機連合で講演、国会テレビ、インターネット番組のマル激トークオンデマンドなどで対談と、私の憲法論をお話させていただく機会を得ました。お蔭で頭がケンポーに染まりました。
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私の「試案」の最大の論点は、国家のあり方をどこまで限定するかにあります。そこに貫かれているのは、「補完性の原理」と呼ばれる考え方です。それは、「問題は身近なところで解決されなければならない」という発想です。自分で出来ることは自分でやる。自分で出来ないことのみ、家族で解決する。家族で無理なら、コミュニティーで解決する。このような考え方で国と、広域自治体(「圏」)と、基礎自治体(「市」)の権限を記述すると、市で出来ることはすべて市で解決し、市で出来ないことのみ圏で解決し、圏で出来ないことのみを国が扱うことになります。
したがって、市が最大の権限を有することになるのです。小泉首相が行っている地方分権は国が最大の権限を持ったままですので、中央集権的な分権に過ぎません。また、巷に言われている道州制も、国の権限の広域自治体への移譲を進めるだけですから、私の「試案」とはかなり異質なものです。しかし、この「補完性の原理」を適用することによって、初めて地域社会が、そしてそこに住んでいる市民が自立的な活動が出来るようになるのです。国の役割は「天皇について」、「外交安全保障について」、「国政選挙について」など、13項目に限定しました。あれもこれも国が口を出す今の上下関係の国―地方のあり方を根本的に改める意味は極めて大きいと確信しています。
さらに、私の「試案」では、将来、アジア太平洋地域にEU並みの共同体が作られる際に、国の主権の一部をその共同体に移譲することを可能にしています。例えば、EUでは共通のEUROという通貨が発行されています。本来、通貨の発行は国の主権ですが、EU諸国はそれぞれ憲法を改正して、国の主権の一部をEUに移譲しているのです。EUにおいては、軍事力も共同して行使しようとの発想もあり、「緊急展開軍」構想も存在しています。このような共同体による軍事行動を行うときには、それぞれの国の指揮権の移譲が必要となります。

 
「市が最大の権限を有する」のだとすれば、たとえば米軍基地がある市が基地撤廃を決議した場合に米軍は基地を市に返還することになるということですか?
あるいは自衛隊基地がある市が自衛隊撤廃を決定したらどうなるのか。札幌市の現在の市長は反自民反民主の非戦の立場の方で、市の繁栄に自衛隊はいらないというような立場の人で自衛隊主導の札幌雪祭りの縮小も実現させましたが、そういう市長が自衛隊にはお引取り願いますと言って市議会も同意したら、自衛隊は撤去されるということでしょうか?
たぶんそうはならないでしょう。だって鳩山試案では外交安全保障は国権の分野であることが明記されているわけですから。
つまり、解釈改憲をしてきた今までと変らない。だったらなんでいまさら改憲なの? と疑問が出てきても仕方がないでしょう。
 

■ビデオニュース
http://www.videonews.com/
マル激第202回 [2月10日収録]
誰のための憲法改正
http://videonews.jp/index.php?itemid=96

国会で憲法論議が本格化している。しかし、各政党の主張からは、誰のための、何のための憲法改正かが見えてこない。
先日「新憲法試案」を著した鳩山由紀夫衆議院議員は、憲法論議を9条問題に終始するのではなく、国と地方の関係を再構築するチャンスと捉えるべきだと主張する。中央に対する地方の従属関係を無くし、自治体が幅広い決定権を有する「地域主権の確立」こそが自らの試案の大きな特徴だとする鳩山氏は、市民がこれからの日本の指針としての憲法論議を身近な問題と認識することが必要だと説く。
憲法を変えることは、何を意味するのか。改正のないまま憲法解釈で自衛隊保有し海外派遣までしている日本のこれからの課題とは何か。憲法シリーズ『憲法のゆくえ』第一弾は、鳩山由紀夫衆議院議員とともに、憲法改正のあるべき姿を考えてみた。

マル激第202回 プレビュー
映像
http://www.videonews.com/asx/marugeki_pre.asx
鳩山由紀夫衆議院議員会見「新憲法試案」(2005年2月9日・外国特派員協会
映像
http://www.videonews.com/asx/fccj/020905_hatoyama_300.asx

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■業務連絡
 
盗聴法無効化リングに本登録追加。
 

安倍捏三の教科書が教える捏造の日本史
http://www.geocities.jp/abe_netsuzo21/

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*1:それはつきつめると神と一体化して神の声を告げるシャーマンとシャーマンの言葉を解釈する神官という宗教権力の、あるいは「天皇制」的権力の、二重構造の現代的展開とも解釈できますが、それについては他の人がいろいろ研究しているのでまた後日に書きます。

*2:はい思っていません。