布施辰治さんを知っていますか?

 
先日、後輩とNHK番組改変問題やら慰安婦問題やら話したのですが、そこで私が布施辰治弁護士の名前をだしたら「誰ですか、それ?」って言われてガックリ。
「おまえ、弁護士志望なら布施辰治の名前ぐらい知らんでどうするよ」と言って怒ったのですけれど、まあ布施辰治弁護士はほとんどの教科書に載っていない人物ですし、後輩にかぎらず布施辰治弁護士の名前を知らない人はたぶん結構いるんだろうなぁと思いましたので、ネットのリソースを紹介しておきます。
現行弁護士法には、弁護士の使命をこう規定しています。
 

弁護士法(昭和二十四年六月十日法律第二百五号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24HO205.html

(弁護士の使命)
第一条  弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2  弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

 
よく「人権派弁護士」というような呼称が一部の差別主義的主張を持つ人たちのあいだで使われていますけれど、「人権“派”弁護士」などという弁護士は存在しません。なぜなら、弁護士というものは全員例外無く基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命としているからです。*1
そして、弁護士法第一条で規定される弁護士の使命の鑑(かがみ)と言われている人が、布施辰治弁護士です。
現在の司法では、いわゆる「法廷闘争」と呼ばれているような、政治では解決されていない、あるいは政治によっては解決できない社会の問題を、裁判所で事実を世間に告発することによって社会のさまざまな問題を投げかていくといったことが行われていますが、布施辰治弁護士はそうした方法論を考え、実践し、今日のそうした「法廷闘争」の意義を確立させた先駆者です。
 

■布施辰治顕彰会
http://ww51.et.tiki.ne.jp/~wada/
布施辰治顕彰会パンフ 昭和63年発行
http://ww51.et.tiki.ne.jp/~wada/pannhu/panhu.htm

生きべくんば
民衆とともに
死すべくんば
民衆のために

はじめに
http://ww51.et.tiki.ne.jp/~wada/pannhu/panhu02.htm

今日は汚れたりといえども明日清かるべしと言うなかれ

雷鳴抄 2005年1月5日 日本のシンドラー
http://www.shimotsuke.co.jp/hensyu/news/colum05/050105c.html

1919年3月1日、日本の植民支配下にあった朝鮮半島反日独立運動が起き、民衆が街頭に繰り出した。韓国では独立運動を記念してこの日が祝日となっている
▼運動の導火線となったのが約一カ月前に東京で朝鮮人留学生らが行った独立宣言の発表だった。逮捕された10人を弁護したのが布施辰治弁護士(1880−1953年)
▼映画「シンドラーのリスト」は、ドイツ人のシンドラーが第2次世界大戦中、多くのユダヤ人を救った実話に基づくが、布施弁護士は韓国で「日本のシンドラー」と呼ばれる。韓国のテレビ局も4年前に「日本人シンドラー 布施辰治」の番組を放映した。韓国政府からは独立に寄与した人物に贈られる建国勲章が日本人で初めて授与されている
宮城県の貧農に生まれた布施弁護士は、人道主義の立場で民衆側の弁護に立つ。19年、本県で起きた足尾銅山大争議など社会問題を中心に弁護活動を展開した。3・1独立運動を契機に朝鮮に目を向け、日本の植民地支配に強く抗議した
▼その生涯は「生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために」という信念を貫いた。韓国からの報道では、国内の「布施先生を研究する集い」のメンバーが恩義に報いようと、新潟県中越地震の街頭募金活動をソウルで行った。弁護士の思いは日韓の間で脈々と生き続ける。

布施辰治
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/fusetatuji.htm

自由法曹団
http://www.jlaf.jp/index.html
弁護士布施辰治没後五〇年記念集会のご案内
http://www.jlaf.jp/tsushin/2003/1098.html#1098-05
布施辰治弁護士の業績─韓国テレビで放映、ビデオを見ませんか
http://www.jlaf.jp/tsushin/2001/1009.html#08
施辰治弁護士の業績(その二)「誕生七十年記念人権擁護宣言大会」資料集のすすめ
http://www.jlaf.jp/tsushin/2001/1018.html#06

■布施辰治の図書室
http://fuse3.hp.infoseek.co.jp/
略歴
http://fuse3.hp.infoseek.co.jp/ryakureki.htm
布施辰治研究論文
http://fuse3.hp.infoseek.co.jp/ronbunlink.htm

発掘・日本人シンドラー 布施辰治
http://www.salusalu.com/maruse/books/husetatuji.html

「布施先生記念国際学術大会」(於・韓国ソウル)に出席して
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/oguri-minoru/kankoku1.html

断章・世紀越えの道すがらで
http://www1.ocn.ne.jp/~kenpou/work/tushin/2001/0105.HTM

布施辰治「憲法改正私案」 1945.12.22
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/050shoshi.html
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/050/050tx.html

明治大学図書館所蔵
布施辰治略伝
http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efusekai/node2.html
弁護士布施辰治旧蔵資料
解説
http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efusekai/index.html
資料
http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efuse/index.html

【大正9年(一九二○)】
東京市ストライキ事件 帙番号2〜3
1 治安警察法違反
大正13年(一九二四)】
福田大将狙撃事件 帙番号8
大杉栄殺害に対するアナーキスト復讐事件
【昭和4年(一九二九)】
布施辰治懲戒裁判 帙番号9
1 大阪における日本共産党事件の公判闘争批判を中心とした弁護士布施辰治の懲戒裁判
【昭和5年(一九三○)】
布施辰治、佐藤義和新聞紙法違反 帙番号8
1 布施辰治の主宰する「法律戦線」の新聞紙法違反
【昭和9年(一九三四)】
布施辰治治安維持法違反被告事件 帙番号 10
無政府主義者社会主義者共産主義者等の刑事被告事件に関係し、自由法曹団、借家人同盟、救援弁護士団の結成により、 国体を変革することを目的とした結社を支援する結社を組織したとした 治安維持法違反事件
【昭和21年(一九四六)】
プラカード事件 帙番号 12
1 食糧メーデーに参加して天皇の名誉を毀損するプラカードを掲げ行進した行為による不敬罪事件
【昭和22年(一九四七)】
雑誌「真相」事件 帙番号 15
1 「真相」及び「真相特集版」に鍛冶良作外63名の名誉を毀損するごとき記事を執筆掲載した名誉毀損事件
【昭和23年(一九四八)】
福井事件 帙番号 16
1 福井大地震の復興を促進するために制定した災害時公安維持に関する条例の無効確認請求訴訟
【昭和24年(一九四九)】
松川事件 帙番号 18〜19
1 汽車転覆致死事件
三鷹事件 帙番号 20
1 電車顛覆致死事件
【昭和25年(一九五○)】
団体等規正令違反事件 帙番号 17
1 団体等規正令に基づく調査のため春日正一氏に対して出頭要求したが応じなかった団体等規正令違反事件
勅令三百十一号違反事件 帙番号 23
1 軽井沢において不正且つ不法なるポスターを掲示した内容が公衆の平静を乱し且つ連合国に対する破壊的批判と共に占領の安全を害する 勅令三百十一号違反事件
【昭和27年(一九五二)】
メーデー事件 帙番号 17
1 第23回メーデー参加者が皇居外苑広場に向って無許可示威行進した騒擾事件

 
政治弾圧下で民衆は抵抗しなかったしできなかったというストーリーは歴史事実ではありません。民衆は権力者による不正な弾圧のもとでも抵抗したし、法という武器で人権を実現しようとした人がいたのは事実です。
ただ、その事実を忘却の中で埋葬し、事実を風化させることを利得とする人たちがいて、民衆の抵抗が風化を望み、あるいは風化するように働きかけている人がこの社会にはいるのだということ。
それらことを私は決して忘れはしません。
 
布施辰治弁護士は、昭和26年に国会で裁判所侮辱制裁法案が審議された時に、法務委員会公聴会で公述人として「私はこのような法案は、今の段階でというのではなく、永久に必要はない。むしろ有害であるという結論において反対する」と公述しています。

第10回国会衆議院法務委員会公聴会 - 1号 昭和26年05月24日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/010/0640/01005240640001c.html

○布施公述人 私は弁護士の立場で裁判所侮辱制裁法案に対する意見を述べる機会を与えられたのであります。私は弁護士という立場より、さらに裁判に密接なる利害と関心を持つ大衆の一人として意見を述べさせていただきたいと思います。
実はある者からは、この法案の適用対象になるような立場を私たちに浴びせかけられておるような議論も聞くのであります。またいわゆる法廷闘争、法廷戰術というような言葉は、私が最初に用い始めたといつてもよいほど、この法案とはきわめて関係のある立場が顧みられるのであります。
従つて私の今まで持つております体験的、またこの問題について常に検討しております理論から、この法案がいかなる性格を持つものであり、そしてまたこれが実現されましたならば、どのような影響と効果を持つであろうということに関連して多くの意見を持いておるのです。その大体を皆さんに聞いていただき、また質疑があるならば、その質疑に答えて私の意見を盡したいのが私の念願です。
しかしすでに前公述人において、またその問答において現われました問題を繰返すことは時間の浪費とも考えます。予定した私の批判、意見ではなく、今まで現われた公述人の意見、これに質疑を投げかけられますこの会場の雰囲気、それらを再批判的に私の意見を述べて、皆さんの御参考に供したいと考えます。しかし必要な公述人の意見として結論をはつきりすることが第一と考えます。
 私はこのような法案は、今の段階でというのではなく、永久に必要はない。むしろ有害であるという結論において反対するものであることを宣言いたします。
その理由を今まで現われたこの会場における質疑並びに公述人の意見というものに対する再批判的にこれを拾い上げて参りますと、裁判の威信もしくは権威と裁判所の威信もしくは権威ということを誤解されてはいないだろうか、さらに裁判所の威信あるいは裁判の権威というものを尊重しなければならぬことは当然だが、そのために法の威信というものを傷つけはしないだろうかということについて御再考を仰ぎたいのであります。
これを率直に言うならば、この法案を制定することは、裁判所の威信を保持するためという目的に出て、逆に裁判の威信を破るであろう。またこういう法案を制定することによつて、初めて小林健治君の言われるように、裁判の威信は保ち得るのだといつても、そのためにこの尊い国会に与えられた立法の威信は、地に落ちるであろうということを考えていただきたいと思うのであります。
私は裁判というものの威信は、何者にも侮辱されてはならないと考えております。また何者といえども裁判所の威信を傷つけるような侮辱をしてはならないということを考えております。けれどもそういう裁判所の侮辱されてはならない威信は、裁判所がいかにしてこれを築き上ぐべきものであるか。よそからの力をもつてこれを保持してやらねばならぬというような性質のものであろうかということを考えていただきたい。
私はここで前の公述人方の意見と重複しない範囲で、私の意見を述べますならば、裁判の威信は尊重されねばならぬというのは何ゆえであるか、それは裁判所に出入される皆さんにおいても、すぐ感ぜられる通り、裁判所ほど良心という問題をよく取扱う役所はないようであります。裁判官は良心の独立ということを憲法においてわざわざ保障されております。*2
裁判所へ証人に行けば、良心に誓つて云々というあの宣誓書を読み上げさせられます。そうしてこの良心というものは、何かそれは善悪の批判、皆さんがみずからの行為について自己批判をなされるとき、あれはよかつた悪かつたという良心の批判、呵責、これこそは人間の一番大事なものであることをお考えになると同時に、裁判の意義はこの良心を制度化したものであるというところに、裁判の威信の尊重されなければならないゆえんがあるのだと私は考えております。
しかしながらそのような裁判の威信、良心の権威を制度化したその裁判の威信は、あくまで公正なものでなければならない。と同時にその公正さは独善の公正さであつてはならない、何人をも得心させるような公正さ、それこそ初めて裁判の威信でなければならない。そうして何人も得心するということは、何人の良心にも理解し得る裁判官の裁判という良心の制度的に発現したその公正さが、共通するということなのであります。
ところがこの法案はどうでございましようか。裁判官の主観的――自分が侮辱されたと感じたその相対立する、もうすでに自分の意見がいれられない相手方にこれを法律によつて強制しよう、押しつけようというところに、この法案の意義がある。
そこで私は小林健治君ら、またこの法案の提案責任者としての田嶋君らによく考えていただきたい。
裁判というものは、あくまで良心的な批判の制度であり、そうして良心的な批判というものは、あくまで自己内省の謙虚にある。この謙虚の掘下げがなくして、ほんとうの自己批判というものはあり得ない。そこにこそみずから謙虚に自己批判をして、自己にとらわれることを恐れて裁判の制度化というものが――ここに多くの理論は申し上げませんけれども、いわゆる不告不理の原則ができて、また一方において起訴をする検事、そうしてその検事とは独立した裁判所というものが裁判するのだという裁判制度が成り立つておるのであります。
さらにこの問題を突き詰めて行くと、小林健治君が幾分触れました――多少良心があると見えて、幾分触れました、その触れた言葉の中に刑事訴訟法の第二十条忌避の制度を持ち出して来られておるのであります。
この忌避の制度は、何を書いてあるか。自分が被害者である場合あるいは自分の直近の者が被害者である場合、その裁判に関与することができないということを、刑事の裁判でも民事の裁判でもともにこれを書いておるのであります。これは不告不理の原則というもの以上に最も良心的な規定であることを裁判官は反省しなければならぬ。
すなわち自分が公益を侵害されたと思うとき、そこに誤りあつてはならない。侵害されたと思つても、自分が裁判官として裁判する場合には、その裁判にみずから関与してはならない。親戚とかそういう利害関係のある者における公益の侵害についてさえ自分が裁判官として関与したならば、それに身びいきするおそれがありはしないか。それに幻惑されるおそれがありはしないかというので、忌避の制度が、民事にも刑事にもともにきわめて明白に規定されております。
私は裁判の良心、裁判の正義は忌避制度によつて保たれておることを常に強調しております。これは不告不理の原則以上であります。にもかかわらず裁判官がみずから自分が侮辱された、自分の法廷の進行がうまく行かない。これはだれの妨害だというふうににらんだならば、ただちにこれを処罰することができるというような法律をつくることは、まつたく裁判を破壊するものであります。裁判の威信を蹂躙するものであります。こういう本質的な――裁判の本質はいかなるものであるかということを考えていただきたい。
裁判の本質を守るために、裁判の本質をぶちこわすというようなまつたく逆な錯覚に陷つておる例と理論は、天下はなはだ多いのであります。この法案はまつたくそういう錯覚に陷つておるものではないかと思います。
さらにもう一点を引きますならば、この裁判所侮辱制裁法案は、私の今論証したような不告不理の原則に背くという反対論が出るであろうが、これは裁判所の自救権の行使だということをいわれる。一体自救権の行使というものは、法によつて行われるものかどうかということを考えていただきたい。
自救権という言葉そのもの、そして自救権という正当防衛的な権限が、われわれ人間のいわゆる現場興奮あるいは事実興奮の間に発現されなければならない場合においては、法を越ゆるものであることを考えなければならない。
法を越える問題に法を持つて行きますとき、それは立法の濫用である。哲学の貧困実にあわれむべきにたえないと私は考える。のみならず、この問題について刑法はどういうことを書いております。正当防衛、緊急避難、あらゆる自救権行使についての保障はしております。けれどもその場合常に過剰行為をおそれる。どうも必要の度を越えて興奮のあまり悪いことをしないとは限らないというので、過剰行為を罰する規定があるのである。
こういうことを考えたならば、裁判官みずから侮辱された、自分の計画した通りの法廷進行がなめらかに行かないからというて、自救権行使的にこんな処罰をほしいままにすることを許されますならば、それこそ常に正当防衛権の過剰、それが合法化されることによつての誤りを犯すであろうということは、目に見るように明らかな人間性の把握でなければならないと思う。そういうことに少しでもの考慮を含めた上の立法なりや、提案なりや。私は実に嘆かわしく感ずるのであります。
それからさらに私はこの国会における立法技術というものには敬意を表しますけれども、立法技術が技術の範囲を越えて、立法詐術に陷つておる場合の多い法律を見せつけられることを嘆いておるものであります。この法案のごときは、まさに立法詐術です。――だれが立案されたか知らぬが、立法詐術です。
なぜならばまず多くの人たちが、この法案に対してどう考えるか。これは裁判の侮辱を制裁する法案のように考えます。ところが法案には裁判所という所の字が入つておるのであります。これはおそらく一般の人のこの法案に対する印象とは違つたまぜものといいますか、時限爆弾が仕込まれておるような感じがある。さらにこの法案に対しまして、多くの人々はやはり法廷におけるあの法廷騒擾、そういうような場合に必要な法案であろうというふうに考えられるでありましよう。ところが第二条をよくごらんになればわかる通り、法廷の内と外とを問わないのであります。これも私は一般の人人がこの法案に対する理解と印象の上には考えないある種のことを盛り込んでおる。
だから刑事訴訟法をごらんになつても、民事訴訟法をごらんになつても、原則はきわめて基本人権を尊重するようにできておるけれども、例外的には云々の場合には何々することを得、というその例外規定を盛り込んでおくことを忘れない。これが立法の技術を越えた一種の詐術であります。この法案を私は徹底的に字句の詳細にわたつてまで批判するならば、その跡の多いことをはつきり鮮明し得ると同時に、私はこういう法案をいかに、いわゆる詐術的に濫用されるかということについて皆さんの御注意を喚起したい。
それはおそらくこういう事件は、事件として問題を起しても、最後の裁判ではすべて無罪になるだろう、決して処罰されるようなことは起つて来ないだろうと思います。けれどもこの場合私はある最も悪辣な官僚警察官、これは名前をあげてもよいくらいでありますが、高級な位置におつたものでありますが、これがもう無罪になることはわかり切つておつても、無罪になるまでつかまえてさえおれば、それでもうおれの目的は達するのだ、こう言つてまつたくむちやな逮捕検束をやつていた警察官僚のあることを考えていただきたい。
おそらくはこの法案が実施されたからといつて処罰されるような人は出ないでしよう。けれどもそれは目的ではない。結局は無罪になつても、一応そこでとつつかまえて、無罪になるまででも押えつけるところにこの法案のねらいがあると私は考える。こういうようなことは立法の権威を害するもはなはだしいといわざるを得ない。
立法の権威はどこにあるか、あくまでも守られるところになければならない。ほんとうに実施し得るところにあらねばならぬ。
ところがこういう法律を制定したからといつて、実はまつたく守られもしないだろう。その効果も上らないだろう。これは末弘博士の言われた通り、まつたく逆効果を奏するであろうというようなことの考えられる場合、こんな法律をつくることは、司法の威信を保とうとして司法の威信を傷つけろとともに、立法の威信を傷つけるものであることを考えなければならぬと考えます。
さらに私は二、三の実例を申し上げます。かの勾留理由開示の場合に問題が起つた。ある種の裁判で裁判長がとつちめられた、こういうようなことを小林健治君が実例をあげておるのであります。しかしこの勾留理由開示で問題になつたのはどんなことが問題になつたか。実は勾留理由開示の申立人は、利害関係人という肩書においてできるということになつていたのであります。ところが最近においては利害関係人という条文の表現は、これは法律術語なんだ、いかなる利害関係ということをはつきり表示しなければ勾留理由開示の申立人たる資格がないといつて、どんどん却下しておるのでおる。
こういうことをやつておりますために勾留理由開示において、なぜ勾留したかということを裁判長に質問すれば、いや証拠隠滅のおそれがあるからだ、こういうのであります。この場合やはり証拠隠滅のおそれということは、利害関係人という表示と同じように、これは法律術語の表示なので、利害関係人ということについて具体的に事実を示せというならば、やはり裁判所の方でも、証拠隠滅のおそれという、その術語に沿うた具体的な事実を示しなさいと言つて反抗する場合があるのでありまして、こういうようなとき問題が起ります。
そこで私は皆さんに考えていただきたいと思いますことは、日本という国の官尊民卑のまことに嘆かわしき一つの風潮であります。
私は多年法廷に立つての感想をそのまま言うならば、よほど基本的人権を蹂躪され、裁判所から侮辱された、そういうときでなければ抗議をする傍聴人も被告も弁護人もない事情であります。
決して事を好んで裁判長に罵声を浴びせかける、あるいは問題を起すとかいうことはありません。もうがまんをする限りがまんしておる、民卑の屈従、その勘忍の尾が切れて、そうして忍ぶべからざるに及んで爆発するのが、法廷におけるあの種の抗争だということを考えていただきたい。だからそういう意味でも私は決して問題は起らないと思う。
ただここで法廷に傍聽人がたくさん殺到する、これがたいへんなことのように考えております。けれども集団的な犯罪について、ある責任者が検挙されるというようなときには、これは責任者個人の犯罪、個人の責任ではないのであります。やはり民主的に結ばれたる利害関係なり、同士的な団結のメンバー、これらの全部が被告の位置にすえられたものと考える法廷監視、これは必然の民主的な自覚の芽の吹き始める尊さでなければならない。
それを理解しないで、ある集団犯罪の場合に、また他の多くの人たちが傍聴に来るということが、いかにも自分らが威圧でも受けるがごとくに考えておるところに間違いが起るのであります。それこそそういう民主的な犯罪の性格、傍聽人と被告との立場を理解してこれに対処するならば、絶対に問題は起らない。にもかかわらずそういう場合、すぐに身の危険を恐れるもののごとく警察官にすがろうとする。
この警察動員、特別警備という、警察国家のこのやり方がいつでも問題を挑発しておるのであります。こういうようなことを考えて来れば、私は幾多の例によつて、ある事件ではどういう裁判長がやりそこなつたか、ある事件ではどういう裁判長はどうにかやつて行けたという実例を、あげようとすればあげる資料をたくさん持つておりますけれども、そういうことは時間の関係上、ここでは省略しますが、ただ許すことのできない一事は、小林健治君が言われる通り、傍聴人に対しても、検事に対しても、だれに対しても法廷侮辱、進行を妨げたものは処罰する。けれども私に言わせれば、むしろ裁判官そのものこそ法廷侮辱の張本人である場合が多いと言いたいのであります。
この法廷侮辱の張本人であるべき非人格的なあるいは識見の低劣な、民主思想をはつきりと理解しないようなそういう裁判長を、それこそ支配封建、天上の神格者のごとくにまつり上げようとするのがこの制裁法案であります。
どうしてこういう法案が提出されるのかを私は理解し得ないのであります。こういう法案は、言われました通り裁判所構成法百九条の復元だとか、これはさきに民主的な警察の改善ということで、サーベルがこん棒になつた。そのときには警察の民主化をみな喜んだ。ところがそのこん棒を持つた警察官にさらにピストルを与えた。これはサーベルよりもつと恐ろしいのであります。サーベル時代の拔劍という問題よりも、ピストルになつてからの暴発問題は非常に恐ろしいのであります。そうして責任はとられていない。サーベルを取上げてこん棒を与えて、一旦民主化した警察にピストルを与えるということが、いかに民主化の逆転であるかということを考えればいい。
○安部委員長 布施君に申し上げますが、大分時間も経過しておりますから、簡潔にお願いします。
○布施公述人 それでは結論を申し上げますが、まつたくこれは逆転であります。
そうしてこのぐらい野蛮な、不告不理の原則を無視し、そうしてまた人間良心の、いわゆる裁判の本質にいう、自分が支配者である場合において、みずから裁判しようとする謙虚さを忘れさせる。こんな野蛮な法律はない。そうして戰争ほど野蛮なものはないというところに一脈相通ずるものがある。
私は今ここでは多くは申し上げませんけれども、戦争防止のためにも、戰争を放棄した日本の憲法の名誉のためにも、私はこういう野蛮な法律は絶対に通してはならぬ。現段階において必要がないばかりではない、裁判所の本質、法律の権威のために、絶対にこういう法律を通してはならない。どうしたつてこれは実施、実現の正しい効果は生まない。むしろ逆効果を生むであろうということを警告し、予言して私の意見を終ります。

 
現在、裁判所侮辱罪は存在しません。その理由は、布施辰治弁護士の「戦争防止のためにも、戰争を放棄した日本の憲法の名誉のためにも、私はこういう野蛮な法律は絶対に通してはならぬ。現段階において必要がないばかりではない、裁判所の本質、法律の権威のために、絶対にこういう法律を通してはならない。」という訴えが、戦争の悲惨を体験し、二度と戦争はごめんだという多数の人々の心を動かしたからだと私は推測します。
今日、私たちが政治的見解を裁判所で争うといったことが裁判所侮辱罪によって処罰をうけないでいられるのは、かつて布施辰治弁護士のように本当の意味での人権を擁護し、確立しようとした人がいたからに他なりません。
 
以下、参考図書。
 

施辰治―全民衆の味方吾等の弁護士
布施辰治―全民衆の味方吾等の弁護士 (伝記叢書 (277))
http://d.hatena.ne.jp/asin/4756804888
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4756804888/
───────────
ある弁護士の生涯―布施辰治
ある弁護士の生涯―布施辰治 (岩波新書)
http://d.hatena.ne.jp/asin/4004100585
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004100585/
───────────
布施辰治外伝―幸徳事件より松川事件まで
布施辰治外伝―幸徳事件より松川事件まで
http://d.hatena.ne.jp/asin/4624110382
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4624110382/
───────────
天皇制』論集 久野収,神島二郎編 三一書房
1974年
「ギョメイギョジ」(布施辰治)
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布施辰治 : 全民衆の味方・吾等の弁護士. 明治篇
本多久泰著 火花社  昭和5年
───────────
「布施辰治植民地関係資料集vol.1朝鮮編」関連資料集 : 石巻文化センター所蔵
石巻文化センター所蔵・布施辰治資料研究準備会 2002.5 解説:森正

 
絶版かもしれませんが、布施辰治さんの著作も紹介しておきます。
 

死刑囚十一話・死刑囚の記録 近代犯罪資料叢書
布施辰治 (著), 田中 一雄, 前坂 俊之
死刑囚十一話・死刑囚の記録 (近代犯罪資料叢書)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4756805302/
───────────
アルス文化大講座. 第4巻
借家法と陪審制度(布施辰治)
出版年 大正15-昭和3
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社会問題講座. 第4巻 新潮社
昭和2年
借家争議の戦術(布施辰治)

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*1:だから私は、「人権派弁護士」などという誤ったレッテルを使っていることそれ自体が、弁護士という職を理解していないことを判別するひとつの指標であるとさえ考えています。 Google「人権派弁護士」の検索結果はてなダイアリー「人権派」 

*2: 日本国憲法 第七十六条三項 「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。 」 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html