山口二郎 戦後政治における左翼の役割と限界

山口二郎さんのこの言論は、現代日本政治に言及する上で必読かもしれません。

山口二郎
http://www.yamaguchijiro.com/
日本政治学会2004年度研究会・2004年10月2日
04年9月:日本政治学会(2004年10月2日)報告
「戦後政治における左翼の役割と限界」  山口二郎 北海道大学法学研究科
http://dp11001166.lolipop.jp/archives/000201.html


左翼の定義はノルベルト・ボッビオの定義に従って使用しているようです。学問的にはそれが正解なのでしょう。というかそれ以外の定義だとおかしい。

───────────

ノルベルト・ボッビオ
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%ce%a5%eb%a5%d9%a5%eb%a5%c8%a1%a6%a5%dc%a5%c3%a5%d3%a5%aa

右と左―政治的区別の理由と意味
ISBN:427501703X
グラムシ思想の再検討―市民社会・政治文化・弁証法
ISBN:4275018109
イタリア・イデオロギー
ISBN:4624011171

ノルベルト・ボッビオの左翼の定義は、一言で言うと、平等(機会の)を求める立場が左翼、それに反対するのが右翼。私的所有を否定する立場が左翼という定義や、政権に反対する立場が左翼という定義は、ノルベルト・ボッビオの定義とは違うのでしょう。
たとえば、幸福になるチャンスを誰にでも平等に与えよと主張する人は左翼。オレにだけ幸福になるチャンスを与えよと主張する人は右翼。
たとえば、同じ労働をしたのなら対価も平等に与えよと主張する人は左翼。オレにだけたくさん対価をよこせと主張する人は右翼。
たとえば、村にひとつだけ井戸があり、その井戸がなければ村人は死んでしまうという状況で、井戸の水は村人に平等に分配すべきだと主張する人は左翼、井戸を実力(武力)で占有した者だけに井戸水の所有権があり所有権の無い村人は死ぬべきだと主張をする人は右翼。
たとえば、家にケーキが1ラウンドあると状況で、家族で平等に分けようと主張する人は左翼。オレだけのものだと主張する人は右翼。みんなで分けて食べましょうと主張するしずかちゃんは左翼、オレが全部食べると主張するジャイアンは右翼。
「左翼で何が悪い?」。その通り。理性的で人間的です。
「右翼も人間だ」という主張もその通り。人間は動物的感情で行動する側面があります。
人が動物としてではなく人として生きること。
ヒトが人間として生きること。人間らしく生きること。
おそらくそれがノルベルト・ボッビオが考える「左翼」。

───────────