資料:田辺市議会会議録:有害コミック撲滅運動発祥の地の有害図書追放論

 
有害コミック撲滅発祥の地=田辺市の市議会で議論された有害図書追放議論のうち、ネット上で公開されている平成9年から平成16年までの情報を転載します。
 

田辺市議会
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平成11年 3月定例会 (第7号 3月16日)
No.6 大倉勝行君
15番議員でございます。一般質問に入らせていただきます。皆さんに通告しております通告書どおりやっていくんでありますけれども、題は一つであります。そして、小さい番号が1から4まで打ってるんですけれども、一つの題でありますので、まあ1番にいったり4番にいったりいろいろするかと思いますけれども、ご了承お願いいたしたいと思います。時間は30分の予定でありますが、少し議長並びにこの後、一般質問されます鈴木議員に許可をいただきまして、10分ほどもしかしたら延長になるかもわからないんでありますけれども、少しの時間でありますので、皆さんどうぞご清聴よろしくお願いしたいと思います。それでは、入っていきたいと思います。
青少年への有害環境、有害図書の実態についてでございます。かつて10年ほど前でございました。この田辺市から全国に発信した運動の中で、大変素晴らしい運動がありました。当時、ビニ本と言いまして、ポルノの本をビニールで包んで中を見えなくしまして、見たら売れないからかもしれないんでありますけれども、それを大人のお店で販売したのであります。しかし、それがより一層売れるようにと、より一層いろんな人に売れるように簡単に手に入るようにというのかどうかわからないのでありますけれども、自動販売機で街角街角で販売をしておりました。自動販売機にしますと、誰にも顔を見られず、誰にでも簡単に、そして18歳以下の人にでも簡単に手に入ったわけであります。それで中学校、そして高校の学生の間で、これが大変はやりまして、たくさん購入しまして、親御さんが部屋に入りまして掃除をするときなど、それを見つけまして大変びっくりいたしまして心配になったのであります。その運動が、これでは大変だという形で、いくらなんでも18歳以上の図書を、そしてまだまだその10年前は、なかなかそこまでポルノ的なことも、日本では理解があったというのか、まだ皆さんに理解がなかったので、えらい心配をいたしまして、これがだめだという形で、田辺市のお母さん方から全国に発信しまして、ビニ本自動販売機の追放運動が活発に行われたわけであります。それがいわゆる悪書追放運動であったわけでありますけれども、大変成果が上がりまして、私自身の把握でも大変成果が上がったと聞いておるんですけれども、それらの運動の成果は、田辺市はどのように把握しているのか、全国的にどうなったのかを少し教えていただきたいな。田辺市は、その運動の実態をどう把握しているのかを聞かせていただきたいと思います。
そして、そのような10年前に運動がありまして、現在これらの環境がどのようになっているのかと、私は、田辺市はどういうふうに把握しているのかを聞きたいのであります。私は、今現在の田辺市では、全国的にもそうだと思うのでありますけれども、当時以上の10年前以上の最悪な環境であると、私はそう思っております。この10年間に時代は大変変わったのであります。本は本屋さんだけに売っているのではなくなりました。ポルノの本も大人の店にだけ置いているのではなくなったように思います。10年前にはほとんどなかったコンビニエンスストアというのが、この10年間にたくさん出てきたのであります。コンビニエンスストア、野菜や果物はあまり置いてないんですね、そのようなスーパーです。駅の売店を少し大きくした感じの、お菓子とかあまり腐らない物を置いているスーパーが、コンビニエンスストアであります。ポテトチップス、ジュースの目の前に、そしてアニメの本や普通の週刊誌の間に、しかも表紙はファッション誌、服装の流行のファッション誌、旅行の紹介誌、アニメの本と全く変わらないのであります。表紙だけを見たら、本当に週刊誌のようです。アニメの本のようです。例えば、ドラえもんとか、その手のマンガが書いてあるような本が、中身が違うのであります。私が1人のお母さんからこの話を聞いて、そして現物を見せてもらって、本当にびっくりしたわけです。本当に普通の本と全く変わらないのですけれども、中身は全く違うのであります。当時のビニ本よりも大変すごいなと思ったのです。
今は、普通の週刊誌には、ヘアとかいうものが解禁されておりまして、どの本を見ても、それなるものは目にかかることはできるのでありますけれども、決してそのような程度の本ではありません。正にヌードだけではなしに、女性たちの写真の中に男性も混じってる。この場で言うのも、少し気が引けるような中身であります。正にポルノ誌であります。そのポルノ誌が、表紙は全く普通の本でありますけれども、それが正にアニメの本、週刊誌の本、ファッション誌の中に、普通の本のふりをして紛れ込んでいる。そして、その本を小学生、中学生が、正に鉛筆や消しゴムを買うように購入できる。そして、購入しているのであります。そして、親御さんたちは、そのことを知らない。正に子供たちとコンビニに騙されている、これがいちばんの私は問題点だと思うのであります。市は、これらのことを把握していますか。それをお聞かせいただきたいと思います。どのような本があるのか知ってますか。そのことを聞かせていただきたいと思います。そして、この本を自分の子供の部屋で見つけたお母さんたちがびっくりしまして、これではだめだ、これでは本当に世の中が悪くなると。一回この実態を皆さんに知ってもらいたい。これが世の中の人たちが許すはずはないという形で、お母さんたちが立ち上がったのであります。そして、今現在、署名運動を展開しております。もし、田辺市の多くの市民がこのことを知ったならば、理解したならば、また大きな運動が出来上がって、どうしてもこれがいけないという形で、大きな運動となって盛り上がってくると思うんでありますけれども、なかなか一部の少数の人数では、これらの問題を本当にほかの市民の人たちに知らしめるということが、なかなか力が足りないのであります。
そこで、何らかの形で、本当に市に協力をしてもらえないだろうかというのが、今日の私の質問の趣旨であります。会員のお母さんのグループは、大変頑張っているんでありますけれども、なかなか手が届かないのであります。何らかの形で、今、行政として手を打たなければ、本当に何も知らない間に、とんでもないことが起こっていくような気がしてならないのであります。そこで、質問でありますけれども、ニューヨークのジュリアーニ市長というのが、ニューヨークの市長として就任されたそうでありますけれども、彼は警察官をしていたそうであります。そして、世界でもナンバーワンの犯罪都市であったニューヨークは、今現在は、本当に世界でもいちばん住みやすい都市になったというように聞いております。何をしたかと言うと、大変な規制をしたんですね。公園で犬を放すと100ドル罰金だそうです。飲酒運転をすると、車を取り上げまして、車を売ってしまうそうであります。列車の無銭乗車が大変多かったそうでありますが、無銭乗車をしますと、逮捕されるそうであります。いったん解き放ったものは、なかなか締めようと思っても締まらないものであって、締めるには、やはりある程度の規制をして、縛らなければなかなか難しいように思います。私は、今、コンビニエンスストアでたくさんいろんなこういう悪書的な本があるわけですけれども、このコンビニエンスストアを許可しているところがあるわけなんですね。
そして、それは県条例であるそうであります。県条例をきちんと守っていただければ、まあ大丈夫かなと思うのでありますけれども、県条例で守れなかったら、私は田辺市でもある程度の条例を作って、これらの取締でもできないものかなと思います。田辺市だけでも、独自に条例を作り、これらのものを禁止することはできないだろうかなと、そう思います。それがある程度ちょっとと言うならば、コンビニエンスストア本部に出向いて行ってでも、一つのコーナーをきちんとしたコーナーを持ってですね、そして取り締まったらどうかなと。そうでなければ、「この許可を取り消すよ」ということを、そのぐらいのことはできないものだろうかなと思います。コンビニエンスストアのその許可は、県であるそうでありますけれども、ここに県条例があるわけであります。「図書等の販売、または貸付けを業とする者は、有害図書等を他の図書等と区分し、店内の容易に監視のできる場所に置かなければならない」。きちんと区別をしなさい。そして、ほかのものと一緒にしたらだめですということなんですけれども、僕はやっぱりきちんとコーナーを、ドアがついているぐらいのことをしなければだめだと思います。この文書だけでだめならば、田辺市として、きちんとドアをつけろとかいう形で、条例ができないかなと、そのように思うのであります。それまでにですね、県とか、あるいは警察にもう少し厳しくこの条例をするように、もっともっと厳しく取り締まれるように、市から県なり、警察なりに、本当に要請をしていただきたいな、そのように思います。
そして、このお母さんたちの、田辺市民に知らしめようという、この署名運動に何らかの形で田辺市も協力していただきたいな。町内会の組織がありますし、PTAの組織があります。婦人会の組織があります。私たちもこれらの組織に協力を要請したのでありますけれども、なかなかうまくいかない。なぜかといえば、いろんな人たちが要請をして、署名運動なり、これを宣伝してほしいと、そういうふうに言われたならば、それを全部受けたら、もういくつあっても、体がいくつあっても足りない。だから全部が全部受入れられないというのが理由です。もっともだと思います。しかし、このことに関しては、田辺市の一つの姿勢があったならば、これらの人たちにPTAなり、あるいは町内会なり、婦人会なりに、これは特別なんだよという形で要請することも、僕自身は可能だと思います。一つの特別な事項もあってもいいんじゃないかなと思います。すべての市民が同意できる事柄であるかと思うのであります。私の要望点はこれだけです。どうかご返事をいただきたいと思います。
 1回目の質問を終わらせていただきます。
            (15番 大倉勝行君 降壇)

平成11年 3月定例会 (第7号 3月16日)
No.8 市長(脇中孝君)
 大倉議員から青少年の有害環境、なかでも有害図書の実態について、ご質問とご意見をいただきました。お答えしてまいりたいと思います。議員からお話のありましたとおり、平成2年の夏に、コミック本の性描写が、子供たちにとって大変有害であるという声が、田辺市を中心とする母親グループの皆さん方からあがりまして、この方々が中心となって住民運動を起こし、その運動が市民全体のものとなっていきました。具体的には、市それから市教育委員会田辺市青少年育成市民会議、田辺青少年補導センター、さらには町内会、婦人団体、PTA等の関係団体等が一致協力して、皆の力で性描写マンガの追放、またコミック本を見ない、読まない、読ませないということをスローガンに啓発のビラを市内全戸に配布し、そして街頭啓発等の啓発活動、さらに出版社に対しても要望書を提出して、コミック本の自主規制にかかわる活動や研修活動、署名活動等様々な運動に取り組まれたのでございますけれども、この運動がマスコミにも取り上げられ、県全体、さらには全国的にも広がりを見せました。こうした運動で、出版倫理協議会においても自主規制が講じられるとともに、大阪、広島、それから京都等においても、条例を改正して、有害指定が実施されるなど、全国的に規制が強化されて大きな成果を上げたところであります。
こうした成果を上げることができました大きな要因として、この運動の中心になられたお母さん方が、子供たちを有害な環境から守るんだという強い信念のもとに活動を展開され、市民の皆さんの心を動かし、市民全体の運動、さらには県民運動にまで発展させたということであろうと考えております。ところで、今、議員からもお話ありましたとおり、最近の青少年を取り巻く状況でございますけれども、社会情勢の変化、それから生活環境も年々変化をいたしまして、新たな有害環境の発現も見られるようになってきておりまして、取り分け青少年の健全育成に有害と認められるもの、性的感情を著しく刺激し、または粗暴性、残虐性を助長する恐れのあるものでございますけれども、例えば図書等の出版物、ビデオ、映画、広告物、放送番組といった従来のものに加えて、コンピューターソフト、それからインターネット等のメディアからの有害情報が非常に複雑化して、しかも多様化している現状であります。また、電話などの通信技術の発達によりまして、テレホンクラブとか、ツーショットダイヤルなどの営業によりまして、特に女子の性被害なども、都市部を中心に増加しているということが報じられております。
県では、そういった被害から青少年を守るために、平成9年1月に和歌山県青少年健全育成条例の一部を改正いたしまして、テレホンクラブに関する規制のほかに、有害図書等に関しましても、規制や罰則をさらに厳しくしておりますけれども、議員が申されましたように、これでもって有害環境がすべて浄化されるとは考えにくい状況でございまして、今日的には憂慮すべき状況にあると認識いたしております。国におきましては、平成9年11月に、総務庁警察庁の連名で、全国的なコンビニエンスストアの組織に対しまして、一つには、条例により指定された有害図書類は、18歳未満の者へ販売等が禁止されていること。それから二つ目に、条例による有害図書を販売するときは、専用のコーナーを設けるなど、区分陳列をすること等、青少年を取り巻く有害環境の浄化対策への協力を要請いたしておりまして、県も条例によりまして、各種業界に対して、有害図書等に係る措置の徹底と地域における少年の非行防止、健全育成に配慮した営業活動の徹底を強力に文書で要請をしているところでございます。
市といたしましても、県をはじめ警察、それから補導センター等の関係機関と連携を図りながら、図書類等に関しましては、毎月、県条例で指定された図書類等の状況や規定どおりの販売がなされているかどうか、コンビニエンスストアなどを含めた図書類等の販売店を巡回して、違反があった場合は、その場で直ちに指導などに取り組んでいるところであります。議員のご要望ありました市の条例化についてでございますけれども、先ほども申し上げましたように、国の法律、あるいは既に県におきまして、青少年健全育成条例が制定されておりますので、市といたしましては、行政の責務として、県の条例を遵守し、実効性のある適用ができるように、今後とも努力してまいりたいと考えております。いずれにいたしましても、有害な社会環境につきましては、青少年自身の意志と判断による対応が基本となりますけれども、同時にこれを支える家庭や学校における指導、そして地域の方々による青少年の健全育成の観点から、有害環境浄化のために積極的な活動や青少年のための有害環境浄化についての関係者の皆さんの深いご理解とご協力が一層必要でございますので、今後とも、これらの皆さん方と連携を深めながら、環境の浄化に取組をしてまいりたいと考えておりますので、よろしくお願い申し上げます。
             (市長 脇中孝君 降壇)

平成11年 3月定例会 (第7号 3月16日)
No.10 大倉勝行君
県の条例に沿ってやっていただけるということであります。ひと言申し添えるんでありますけれども、県の条例があって、そしてやっていくんでありますけれども、結局やっているんでありますが、実態は、今現在はむちゃくちゃであります。ですから、県の条例で通用するならば、私はどんどんどんどんやっていかなければならない。しかし、実態が今とあまり変わらなければ、何らかの対策をとらなければいけない。これは事実であります。ですから、県の条例で十分であるならば、それはそれで私はいいと思うのでありますけれども、十分でなかったならば、何らかの形で強力にやっていただきたい。本当に守らなければ、「守らなければ、もう取り消すよ」というぐらい強い態度で臨まなければ、口で言ったのでは、私はなかなか守れないと思います。市が中心になって、強力に県あるいは警察に対して、本当に強力に要請をしていただきたいと、そのように思います。そして、今一度、返事を聞かせていただきたいのでありますけれども、お母さんたちの署名運動に、市は全面的に協力をしていただけるのかどうか、それをもう一度明確に答えていただきたいと、そのように思います。
それと少し10分間ぐらい時間をいただいておりますので、私は関連してると思うのでありますけれども、少しほかのことでちょっとしゃべらせていただきたいなと思います。子供たちがおります。いろんな環境がありまして、だんだんだんだん悪くなっているんでありますね、学校であります。我々のときは、先生を殴るということはなかったんでありますけれども、反対のときはあったんですね。先生から我々は殴られるということもありました、正直な話、何年か前には。しかし、今現在は、そういうのは絶対ないそうでありまして、ところが、反対に、生徒から先生を殴っているというのが、新聞等マスコミで聞かされております。そして、授業ができないということで、授業中本当に友達同士で話したり、徘徊をするそうですね。外に出て行ったりもするそうであります。「大変昔よりも悪くなった」、そのように言われます。
この間も、この市議会の議場において、「大変悪くなったから、40人学級を30人学級にしよう」という話を聞かされました。大変素晴らしいことであると思います。しかし、本当に40人学級を30人学級にすることが、それが暴力をなくしたり、授業中の話をなくしたり、今より良くする本当の手段なのかなと、私はすごく疑問に思います。それはいいことであるけれども、根本は別なことにあるような気がしてならないのであります。これも8年前でありました。三栖中学校で、卒業式のときに、「君が代斉唱」と言ったら、全員がバンと座ったのであります。僕自身びっくりしました。そして、10年たちまして、三栖中学校が三栖と長野と、そして万呂と集まりまして、衣笠中学校ができまして、それよりも人数が多くなったんです。今回、卒業式に行きました。金髪の男の子、頭に角がいっぱい生えている男の子がたくさんおりました。みんな君が代を口ずさんでおりました。たまにいきがって大きな声で歌ってる子も何人かおったわけです。ものすごく頭は金髪にしてても、僕自身はかわいいなと思いました。その思ったときに、十数年前を思い浮かべました。あれは何だったんだろうなと、僕自身思ったのであります。三栖小学校の人数の少ない子供たちが、一同にしてドーンと君が代を歌って座る。あれは何だったんだろうなと思ったんです。私自身考えました。あれは教育だったんだなと。多分先生たちが、そのことを教育したんだなと。だからあのときに、あれだけの人数が一堂に会してどっと座った。立っていた人が3人だったんですね、子供たち。子供が3人しか立ってなかったです。あれは学校教育に対して、公教育に対して一部の先生の一部のイデオロギーの子供への教育だと、私はそう思いました。そう自分自身で今、結論づけているのであります。
今、新聞を賑わしております所沢高校で、学校の卒業式と、そして生徒が生徒会と称する卒業の式典とがあるそうであります。校長先生の一応中心となる卒業式が、何か5分の1とか、もっとすごい10分の1ぐらいの出席しかなくて、そして学生の主催するのがほとんど出席しているという、この現実があります。そして、この間、校長先生が亡くなられた広島の世羅高校というのがありまして、自殺された校長先生の本当にご冥福を祈るわけでありますけれども、かわいそうに思うわけでありますけれども、この高校生の修学旅行は、韓国に出向いて、そして土下座して謝罪してきたそうであります。僕は本当にすごい話だなと思います。これこそ正に教育だと思うのであります。一部の人たちのイデオロギーの教育が、ここにあると思います。その教育は何かなと考えてみた場合ですね、全く一方的な権利主義だと、私は思います。義務を教えない権利主義、ですから、僕がこういう有害図書という話もそこから出てくると思うんですね。自分の権利、権利と主張するならば、僕はこれ利己主義から始まって、本を作る、本を出版する権利があります。そして、購買する権利があるわけですね。そして、表現の自由の権利がある。こういうことをしたらですね、一つ権利、権利の主張するから、こういうことになるのではないかなと、私自身思うのであります。
今、日本では、卒業式に君が代になりますと、3分の2が退席したと、卒業式の会場から退席した。これが教育、先生たちが教育をしていなくて、こういう行動ができるかなと、私自身は本当にそう思います。「昔より悪くなった」、よく言われます。なぜ悪くなったか。根本が悪いからであります。なぜ悪くなったのか。原因は、世の中の人たちから少し離れた一部の先生の一方的な考え方の指導によると思うわけであります。公教育、どういうものか。悪くなったとよく言われますけれども、現実に田辺市ではないんですけれども、私立学校にこの話はありますか。一切ないのであります。なぜ、公立にこれらの問題の話があって、私立高校にないのかということを、僕は皆さんにご理解していただきたい。なぜ公立にあるのですか、私立にはなぜないのですか。40人学級を30人学級にして、解決する問題ではないのであります。私は、どこに原因があるのかと考えてみました。公教育での先生の地位にあるように思います。昔は、これは聖職だったんですね。僕らはまだ先生というものは聖職だと思っています。ところが、いつの間に誰が言い出したのか、「先生も労働者だ」ということを言われました。一般の国民は決してそう思ってないのにもかかわらず、先生を「労働者だ」と言い始めたんでありますね。おかしな話です。いつの間にやら教壇が取れてます。学校に教壇がないんですね。なぜ取ったのかと聞きますと、目上からものを言うのはおかしい。先生というのは目上ですよ。教える立場と教えられる立場というのをはっきりと分けなければ、教えるという立場をやっぱり顕示しなければならないと思います。決して子供と生徒が対等の立場、生徒と先生が同じ目の高さでおったのでは、私は教えられる立場ではないように思います。
勝手な歴史観、公の機関でありながら、公と違う、自分本位な歴史観を、公の身でありながら、公に反発する、そういう考え方で、そして子供たちを教える。子供たちの親御さんにも、親にもいろんな考え方があるにもかかわらず、そういうふうに教える。そういう教育の場で、国との考え方とか、あるいは教育委員会の考え方、校長先生の考え方、そして父兄、保護者でいいですけれども、保護者も父兄もイコールなんですね。言い換えるのはおかしいんでありますけれども、父兄でいいんですけれどもね、父兄の考え方と相反している、そういう相対している立場で、先生たちが自分本位でやっている、一つの義務があるにもかかわらず、権利だけの主張、これらのことが僕自身、このような社会を作ってきた本当の原因でないかと、私はそう思います。10分間ですけれども、勝手なことを言わせていただいたんでありますけれども、ひとつ市長さんに、先ほどの署名活動に協力できるかということの返事をいただきたいと思います。
            (15番 大倉勝行君 降壇)

平成12年 9月定例会 (第4号 9月26日)
No.33 田中康雄
 1番議員の田中康雄です。
(略)
子供の問題で次はですね、少年犯罪の背景という辺りでお聞きをしたいと思うのですが、子供の数の減少と同時に質の問題、すなわち子育てそのものが未曾有の危機と困難に直面しているということも指摘しておかなければなりません。相次ぐ子供事件といいますかね、この子供事件というのが、そういう未曾有の危機、困難ということの象徴だと、こういうふうにも言えると思うのですが、その象徴がどういう現れ方をしてきているのかという辺りで考えるところ5点を言っておきたいと思うのですが、1点目は、子供たちが加害、被害、両面にわたって巻き込まれるという危険、これが広がっていると。2年前の神戸事件以降ですね、5,000万円恐喝とか、主婦殺害とか、あるいはバスジャック事件のように、少年たちが引き起こす凶悪な事件に焦点が当たりがちでありますが、年少の子供たちがねらわれるという、これによって犠牲になる事件というのは、誘拐であるとか、虐待で殺される、小さな2歳というような子供が放り投げられて殺されると、こういうことも増える。あわせてですね、非常に事態は複雑化し、そういう意味では、全体的な把握をするという点が非常に大事だと。
2点目には、これまでですね、安全と思われた学校、保育所とか幼稚園や家庭でも子供の生命と安全が脅かされていると。小学校の校庭で殺害事件が起こった京都。生活苦から母子世帯の幼児が凍死をしたという栃木の事件があります。学童保育中に連れ去られ事件、これ福岡です。こういうようなこともですね、そういう現れ方をしている。3点目には、虐待とかいじめなどでSOSが発信されても、地域や関係の公的諸機関ですね、公的な機関が子供を救えない。いわゆる社会システムの機能不全というのが表面化してきている。
4点目に、これらの子供の事件が、個々の家庭とかですね、親の責任にとどまらず社会や政治の在り方に起因し、その危機が日常生活の中にはらまれているという、子供たちは愛情やゆとりのかわりに、日々暴力、競争、孤立にさらされて、いや応なく自己存在感が追われているという、そういう実態。
5点目には、子供たちは、居場所なき不安な毎日を送っているという、そういう子もいますね。希望を求めあぐねている。それはいじめや、あるいは不登校の最中にあるそういう子供たちばっかりではないという点で、この間、鹿児島の団体が出した子供白書には、「だるい」というのをしょっちゅう口にする子供たちが増えてきたと。だるさの中で、それとなく生きていると。こういうような現れ方をしてきているというふうに思うわけですが、教育委員会は、これらの背景をどうとらえられているか、教えていただきたいというふうに思います。また、その対応をどのように考えているか、お答えください。
この問題の終わりになりますが、こういうような子供の問題に対する取組というのは、全国的に見てもですね、全体的にはまだまだであります。子供たちの今を見据えて大人にできること、なすべきこと、これを自覚した取組と、これが自治体絡みでですね、ぼつぼつと広がっているというふうに言えるわけですが、例えば、コンビニとかゲームセンターとか、カラオケ以外に行き場所のないような、そういうふうに見える中学生や高校生、個々に照準を合わせて新タイプのですね、児童青少年センター「ゆう杉並」とか、こういうようなのができたとか、あるいは町田市では、「ぱーん」という、そういうセンターをそういうところに照準を合わせて造ったと。それから神戸事件の起こった須磨区ではですね、駅前ビルの中にフリースペースというのを造ったと。これ開設準備中ということになりますね。それから、宮崎県都城市でもスケーボーパークが造られると。それから、「高知こどもの図書館」という子供図書館を造る。あるいは「24時間図書館まなぼう館」というのを山口県須佐町、これも話題を呼んでいると。これはそういう報告がありましたので言ってるわけで、実際に見てきておりません。一遍僕見てきてからですね、また話をしたいというふうに思いますが、ともかく少ないわけですけれども、何かの取組をしていこうという、そういう動きが出ているという、そういうことも言えるわけでございまして、これらの少子化政策と言いますか、これは乳幼児等、その家族への支援と並行してですね、このように青少年期の、そういう子育ち、あるいは子育ての環境づくりというのを視野に入れて、早急に具体化すべきことではないかと。子供に居場所を、子育てに安心をと、この願いというのは、どの地域からも聞こえてくる時代ではないかと、そういう要求される時代ではないかというふうに思います。
子供の豊かな生活の土台、関係を足元にみんなで作る、そういう子育て安心ネットワークづくりというかな、子育て安心ネットワークづくり、これが問われているのじゃないかというふうに思うわけでありますが、田辺市ではですね、長年、児童館の取組というのがなされてきています。そこには、子供の育つ成果の蓄積というのがあるはずであります。これをですね、田辺市の各地域、中学校区ぐらいに広げていくというようなことが大切ではないかというふうに思うのです。学校週五日制の完全実施ということももうすぐでありまして、こういうことともかかわって、重要なことだというふうに考えますが、いかがでしょうか。
(略)
             (1番 田中康雄君 降壇)

平成12年 9月定例会 (第4号 9月26日)
No.37 教育長(角莊三君)
 田中議員から3点にわたるご質問をいただきましたので、お答えしたいと思います。まず、少年犯罪の深刻さにつきまして、資質の問題、困難の象徴というように、議員ご自身が深く分析された5点ほどを述べられましたが、どんな背景があるのか、どこから手をつけたらよいのか、まことに憂慮すべき状況にあり、しかも今後ますます増加する気配が感じられます。あの神戸市の小学生殺人事件の犯人であった少年の犯行声明文に記されていた「人の痛みのみが僕の痛みを和らげることができる」という部分に象徴されているとおり、常軌を逸した身勝手な行為は、一体どういう経緯をたどって生じてきたのか。その少年に独特の現れ方をしたものか、それともある状況下では、誰にでも起こる可能性のある性質のものなのか、非常に分かりにくいところでありますが、その後の凶悪犯罪の推移から、一つ、連鎖反応を引き起こす。二つ、エスカレートをする。三つ、周りはかえって厳しい対応がしにくくなる。こういった状況が起こってきていると思われるわけであります。
総務庁の青少年対策本部が、今年発表した青少年白書によりますと、主要刑法犯少年の補導人数は、平成8年から増加に転じ、平成9年にはおよそ14万9,000人余り、前年比にいたしますと14.5パーセント増、平成10年には15万7,000人余り、これも前年比にいたしますと、さらに3パーセント増と、年々増加傾向を見せております。また、ナイフなどを使った凶悪な犯罪も平成9年ごろから急激に増加をしています。大分の高校生による一家6人殺傷事件など、連続して起こった殺人事件等は、私たちの記憶に新しいところであります。こうした凶悪な犯罪が多発するようになった背景をどのようにとらえたらよいのか。三つの視点から考えて見ますと、一つ目には、まず問題行動を起こした子供たち自身に現れている特徴が挙げられます。社会の基本的なルールを遵守しようとする意識が薄い。善悪の判断に基づいて、自分の欲望や衝動を抑えることができないほど自己中心的である。言葉を通じて解決する能力が十分でない。自分自身に価値を見い出すことができないといったように、成長の過程で当然身につけなければならない、身につくことが期待されている人間性が育っていないということが挙げられます。
二つ目には、子供たちを取り巻く現代社会の一般的な風潮の問題として、社会の基本的なルールについての認識がおろそかになっているのではないか。あるいは、特定の価値を自分の都合のいいように解釈し、一方的に主張する傾向が見られるのではないかとか、人権と公共の福祉や権利と責任等、諸価値の相互のバランスが崩れている場合があるなどが挙げられます。そのことが子供たちに対する基本的なしつけがおろそかになっていること。青少年の自由や権利を守るという観点が強調され過ぎること。子供たちの行き過ぎがあっても、大人が自信を持って否定できないこと。衝突やあつれきを回避しようとして、許容的になり、子供にとって偏った考え方を、生活体験の中で修正する重要な機会が失われてしまうことなどにつながっているように思われます。
三つ目には、少子化や家庭での個室の影響もあってか、集団における人間関係能力がうまく形成されず、言語活動も不活発になり、子供たちが多様な人間関係を通じて、社会性の基本となる思いやりのこもった人とのつき合い方、あるいは親を大切にしたり、他の人々に敬意を払うといった態度を身につける機会も少なくなっていて、いわば孤立化した状態に陥りやすいということが考えられます。今、3点ほど申し上げましたが、こういったことは、日本青少年研究所*1をはじめ各種調査に、例えば、「先生や親に反抗することや、酒を飲んだり、タバコを吸うこと、性を売り物にすることなどは、本人の自由だ」とする意見が、アメリカや中国に比べて圧倒的に高率に現れていることや、同様の傾向が文部省、総理府などの調査で如実に現れています。
本市におきましては、少年の凶悪な犯罪は起こっていませんが、青少年補導センターが指導した平成10年度、平成11年度の犯罪行為は、それぞれ100人余りでありまして、全小・中学生に対しては1.8パーセント、1.4パーセントという数値を示しており、ほぼ横ばい、または減少傾向にあります。ただ、中学生の数が多いということと、女子非行が増加傾向にあるということ、またせっかく14パーセントにまで下がっていた再非行率が37パーセントと前年より高くなっているということには注意が必要だと思っています。さらに、補導センターに招致された子供たちは、ほぼ一様に罪悪感が薄くて、規範意識も低いという際立った特徴があると言われています。しかしながら、早期に発見されて、丁寧に指導を受ければ、ほとんど反省が見られるということも事実であります。また、どこにも居場所を見い出せないとか、目標がないといった子供たちが多いように思われます。
さて、そういった青少年にケース、ケースの直接的指導とともに、教育的課題及び対応として、私たち大人はどうかかわっていけばよいかという問題について考えてみますと、この問題は、その背景に様々な要因が絡み合っているものであり、青少年のみを対象とした対策だけでは解決できる問題ではなく、大人自身がそれぞれの立場で、社会の構成員として、個の尊厳と公共の福祉の在り方、国の将来を見通して、自由と規律のバランスなどを軸にした子供の人格形成について、自ら深く考えながら、社会の基本的なルールを次世代に伝達していくことが重要な柱であろうと思われます。田辺市教育委員会では、学校教育、社会教育それぞれの役割はもとより、学社融合を進めていって、生涯学習社会に夢を託し、次に述べるようなことについて取組を進めております。
一つ、誰でも人生の最初の教師は親であり、家庭に求心力を持たせ、第一の居場所となるようにしていきたいこと。二つ目は、集団活動というものが、孤立化を防ぐ、そして精神的よりどころとなるので、促進していくこと。三つ目、当然関連がありますが、人間関係能力を向上させていくこと。四つ目に、許容社会となっている現在の弊害に目を向けること。五つ目に、道徳指導を充実させること。六つ目に、基本的行動様式を確立させること。七つ目に、自由主義の概念を知ること。八つ目に、志を励ますことなどであり、これらは相互にレベルの違いもあり、前後関係も一様ではありませんが、共通認識をもって努力を続けようとしています。
また、青少年をめぐる問題は、社会全体の在り方にかかわる問題であり、青少年は地域社会からはぐくむという視点に立って、社会性を培っていくための地域社会の環境づくりが必要であると考えられます。以前に、いわゆるコミック本の性描写が、子供たちにとって大変有害であるという声が田辺市を中心とする母親グループの方々から上がり、やがて市民全体のものになっていって、大きな成果を収めたこともありました。これは住民の方々がリードをして、環境改善に取り組んだ一例であります。さらに、田辺市には、青少年にかかわる田辺市青少年育成市民会議という大組織があって、各校区協議会を中心に、各地域で青少年の健全な育成に取り組んでおられます。
特に、最近では開かれた学校づくりの一環として、子供たちにかかわる団体、関係機関、学識経験者等の地域の方々にお集まりいただき、ネットワークをつくり、地域ぐるみで子供の健全育成に取り組んでいる校区もございます。また、子供クラブの役員の方々や、補導委員の方々の日頃の地道な活動、「きしゅうくんの家」の取組等々、多くの方々にご協力いただいております。このような取組に関しましては、さらによりよい方向を市民の皆様と共に考え、一層深めてまいりたいと考えております。もとより青少年にかかわる問題は、犯罪行為だけではなく、当地方においても不良行為や秩序破壊、恣意的な生活パターンなど随所に見られるとともに、少数ではありますが、普通の生活ができにくい環境を余儀なくされている子供の状況も深刻であって、焦眉の課題でありますが、それぞれの場において個別の対応と適切な指導に努めてまいりたいと考えています。次代を担う青少年の育成は、社会全体の責務であり、さらに今後とも健全育成に取り組んでまいりたいと考えております。
三つ目の児童館の増設をということでありますが、現在、田辺市にはご承知のとおり三つの児童館が設置されており、その小学校区全体の子供たちの活動拠点となるような様々な教育活動に取り組んでいるところであります。このことは議員のおっしゃるとおり、平成14年度から実施される学校完全週五日制においても、子供たちを地域ではぐくんでいくための取組として非常に有意義であり、こうしたことが市内全域へ展開していくことは望ましいことでありますが、現時点におきましては、地域によって独自の活動が展開されて効果を上げている一方、校外活動の在り方など、なお十分研究する必要があると感じています。したがって、青少年の健全な育成を図る上では、子供の居場所として、まず家庭があり、さらに地域、学校と発達段階に応じて広がっていく途上において、体験活動や自主活動のできる場が幾つもあるということは重要なことだと認識しており、既存の公共施設等の活用も含め、今後の課題としてまいりたいと考えております。
以上であります。
            (教育長 角 莊三君 降壇)

平成10年 12月定例会 (第5号12月15日)
No.3 田中康雄
おはようございます。1番議員の日本共産党田中康雄でございます。
(略)
 今、子供の状況を多くの方々が、本当にここにいらっしゃる方も皆だと思いますし、国民のほとんどがそうだというふうに思いますが、大変心配がされる。そういう中で、国連子供の権利委員会の日本政府に対する勧告と、国連からの指摘がありますが、一部紹介をいたします。メディア等の問題という点でありますが、「委員会は、印刷、電子、視聴覚メディアの有害な影響、特に暴力及びポルノグラフィーから児童を保護するため導入された措置が不十分であることを懸念する」、「委員会は、締約国に対し」、締約国というのは日本のことです。「印刷、電子、視聴覚メディアの有害な影響、特に暴力及びポルノグラフィーから児童を守る、保護するため法的なものを含めて、すべての必要な措置をとるよう勧告する」というのが一つですね。それから、競争的な教育ということで、「委員会は、児童が高度に競争的な教育制度のストレスにさらされていること及びその結果として、余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされていることについて懸念する。委員会は、さらに登校拒否の事例が、かなりの数に上ることを懸念する」。「締約国に」、日本にですね、「存在する高度に競争的な教育制度並びにそれが結果的に児童の身体的及び精神的健康に与える否定的な影響に鑑み、委員会は締約国に対し、過度なストレス及び登校拒否を予防し、これと闘うために、適切な措置をとるよう勧告する」。いじめ、体罰についてもあるわけですが、「委員会は、学校における暴力の頻度及び程度、特に体罰が幅広く行われていること及び生徒間のいじめの事例が多数存在することを懸念する。体罰を禁止する法律及びいじめの被害者のためのホットラインなどの措置が存在するものの、委員会は、現行の措置が学校での暴力を防止するためには、不十分であることを懸念をもって留意する」、こういうふうにございます。これは、私が言っとるというよりも、国連からの勧告でありますが、教育長は、この勧告をどのように受け止められるか、お伺いいたしたいと思います。
(略)
             (1番 田中康雄君 降壇)

平成10年 12月定例会 (第5号12月15日)
No.9 教育長(角莊三君)
(略)
 四つ目の国連の子供の権利委員会が、日本政府に勧告をしたが、田辺市教育委員会の考えはどうかという質問について、お答えをいたします。言うまでもなく、この勧告と申しますのは、児童の権利条約の43条、44条に基づいて報告をする義務が生じたことによるものであります。議員ご指摘の三点につきましては、たくさんあった中の三点というふうに理解をしておるわけであります。いずれも、既に我が国の教育課題として、クローズアップしていることと把握をしておるところであります。まず、1番のメディア、特に暴力、ポルノ、こういったものから児童を守ると、こういうことにつきましては、心の教育答申にも、次世代を育てる心を失う危機として明記されたとおり、有害情報の氾濫は、成長期にある少年に、情操、人権、倫理観、性道徳、あるいは経済観念、儀礼等の面において、大きな悪影響を与えており、これを防止するには、まず大人社会の行き過ぎた表現の自由の許容性が課題になると思います。例えば、児童福祉関連では、母親モニターとか、関連事業への自主規制勧告というふうなことも行われておるわけでありますけれども、教育の方を考えてみますと、市民への啓発はもとより、健全育成条例の利用、これは先般、性非行問題にかかわって大きく改正をされたところであります。関係機関の連携など、学校、家庭、地域の教育機能が、いよいよ発揮されなければならないと考えております。
(略)
            (教育長 角 莊三君 降壇)

平成 9年 9月定例会 (第2号 9月18日)
No.48 青木伸夫君
(略)
今回の質問は、三点にわたって質問させていただくわけでありますけれども、まず、一点目の神戸の児童の殺傷事件からということで、何点かお伺いをしたいと思います。この事件は、本当にわれわれ大変悲しい事件でありましたし、そしてまた、この事件は特に被害者が児童であったということ、さらにまた加えて、その犯行は14歳の中学生であったということ、非常に特異な事件であったこと、そういうことを考えてみますと、これは大変な大きな問題であるな、というふうにとらえまして、最近、やや報道も少なくなりましたけれども、決してこの事件をわれわれは対岸の火事というような感覚でとらえるのではなくして、今後の教育のあり方の中でひとつ考えて、取り組んでいただきたいなと、そういう思いで一般質問をさせていただくわけであります。
この事件に関しては、少年法の見直しとか、あるいは報道のあり方、そういうものが非常に問題を投げかけた事件でもありましたし、そしてこの被疑者の中学生は低学年、三年あるいは五年ごろまでは非常にごく普通の子どもであったということ。しかし、大事にしておった祖母が亡くなったということ。そこら辺から死に対する強い関心を、この少年は抱くようになったということ。それから、そのことによって、小動物を殺したり、あるいは解剖したり、そしてまた、ホラービデオやあるいはそれに関係した本を読むようになった。部屋にはそうしたビデオや本がたくさんあったということ。そういうことから、大変な事件につながっていったわけでありますけれども、特に、少年ということで、取調べの方は正確な情報が入ってきてないわけですけれども、しかし、神戸地検から異例とも言うべき、この事件に対する発表がありました。その中でいろいろ報道では、学校の教師が、「もう学校へ来なくてもいい」とか、いろんな報道がございましたけれども、これに関しては、そういう事実はなかったこと。それから、家庭生活の影響も、直接この事件に影響したとは思えないこと。あるいは、先ほど申しましたように、ホラービデオ、そういう影響も、直接的には動機には影響がなかったこと。いろんなそういう神戸地検からの発表があったわけでありますけれども、しかし私はこの内容を見まして、本当に直接影響はなかったけれども、間接的には大変これ影響があったんじゃないかというふうな、非常に微妙なニュアンスのある会見であったなというふうに思っております。
いずれにいたしましても、この少年法によって、多くの国民にその内容、今後の審判の経過の中で発表が少ない、情報が少ないということで、これに対する教育現場での対応というのが非常に苦慮されていくだろうと思いますけれども、しかしこの事件は、一応捜査上の決着は見たということでありますけれども、しかしこの14歳の中学生であったということだけに、また残された課題が、大変多いんではないかと思います。そのように考えてみますと、むしろこれから出発点でないかと、私はそのように思っております。決してこの事件を、臭いものに蓋をするということやなしに、もう二度と再びこの種の事件がひとつ起こらないように、教育あるいは家庭、それから地域社会、力を合わせてやっぱりわれわれのそれぞれの立場で、いろんな対策を講じていかなければならないというふうに思っております。
そこで、具体的な質問に入るわけでありますけれども、この事件を教育現場でどのように受け止められておるのか、その反応はということであります。特に、生徒はどうであったかということも、私、非常に気掛かりであります。みなさんご存じのように、あの少年が逮捕されたときに、須磨警察署の前からの中継がございました。そのアナウンサーが立っておれないほど、若者、中学生、同じぐらいの年齢の子どもたちがですね、寄ってきて、Vサインをしながらテレビに映っておりましたけれども、そのように考えてみますと、これ大変なことだなと。同じ年齢の子どもがそういう犯行を犯した。そういう中でそういう態度が、本当にわれわれ大人として心配をしました。そういう意味からも含めてですね、一体教育現場、先生、生徒、どうこの事件を受け止めておられるのかということをひとつお聞きしたいと思います。
二点目には、この事件から得た教訓でありますけれども、先ほども申しましたように、確かな情報が少ないという中で得た教訓というのは、判断はなかなかしにくいわけでありますけれども、教育委員会として、あるいは学校の現場として、この事件をですね、裏には何があるのかという、そして得た教訓、それについてもしあれば、ひとつお聞きをしたいと思います。
そして、三番目の心の教育であり、あるいは命の大切さであります。この少年が、特に普通であったということで、専門科医に言わすと、精神の異常もなかったということでありまして、こういう大きな事件を起こしていったという中に、やっぱり心の教育が非常に大事でないかというふうに思っております。そしてまた、この事件だけではなしに、自らの命を捨てていく、自殺が大変多いわけでありますけれども、そうした命に対する思い、どのように考えておられるのか、このことは非常に大事なことでありまして、教育の現場で、どのような形で生徒に教え、指導されておるのか、その点であります。
それから、四点目、学校、家庭、地域社会の協力態勢はどうかということでありまして、私はこの事件、昨日も報道がございました。この事件、少年の通っていた学校の先生ですね、先生は、「いずれはこの子は何か事件を起こすんじゃないか」と思ったと。また、家庭では、「まさか自分の子どもがこういう事件を起こすと思わなかった」と。あるいは地域社会で、特に精神科医の先生は、そんなに異常な精神異常ではない。多少家庭、学校でいろいろその子に対する指導、そういうもので十分立ち直れるんじゃないかという見方、その場所、その場所で、いろんな思いをしながら、しかしこういう事件が起こってしまったというこの現実はですね、やっぱりそれぞれの立場で、やっぱり緊密なやっぱり態勢で臨んでおったら、もしかしたらこの事件は、起こらなかったかもわからないという思いがするわけでありまして、この事件にかかわらず、今後の教育の中で、やっぱり学校、家庭あるいは地域社会の連携プレーというのが非常に重要になってくるというふうに、私は思っております。この事件を通して、今後、この態勢をどう日ごろから続けていくのか、その点をひとつお聞きをしたいと思います。まず、一点目の質問は以上でございます。
(略)
            (14番 青木伸夫君 降壇)

平成 9年 9月定例会 (第2号 9月18日)
No.52 教育長(角莊三君)
神戸市で発生した児童連続殺傷事件について、青木議員のご質問にお答えいたします。まず、第一に、教育現場での受け止め方についてでありますが、この事件は、教育関係者のみならず、多くの方がたの心に重くのしかかる衝撃的なものであったわけであります。幼い児童が、連続して無残にも殺傷され、さらに新聞社に挑戦状が送られるなど、様ざまに世間を震撼させ、ついに容疑者として、14歳の中学生が逮捕されたことは、事件が解決したことへの安堵感以上に、最悪の結末であったと、そういうものを迎えたと感じておるところであります。私も関係する記事や論評など、可能な限り読んでおりますが、事件が起こった地域の人びとからの話も聞いたり、様ざま情報が錯綜することによって、かえって事実関係や背景がつかみづらく、どこまでが特異なものか。あるいはどんな点が青少年の心理に共通するのか、さらには学校教育や家庭教育の課題に通ずるものは何かなど、教職員や生徒に不安と動揺を与えたことも確かであります。
これまでの報道などによるところから判断して、報道全般から見て、破壊殺人ではないかと。自己の犯罪をメディアにさらし、世間の反応を求めた行為、あるいは犯罪を復讐と称した社会挑戦、さらには底流にあるオカルト的傾向の残虐性などが伺える特異な事件でありますし、もしこれらが少年の内面の真実を語るものであれば、なまじ理解を越えるところがありますし、もし仮面をかぶった、装ったということであれば、なお判断に苦しむところもあるわけであります。しかしながら、特筆すべき事実は、被害者及びその家族の無念は計り知れず、どんな対応をしても、慰めにも勇気づけにもならないくらいの大きな傷を残したものと推察しています。
私どもの教育委員会としては、まだ情報が十分でないときでありましたが、7月7日に校長会役員会を招集し、子どもたちの様子や対応の状況について聞くとともに、すぐに市内全小・中学校に、この事件をどう受け止め、命の大切さをどう指導するかについて、職員研修を指示いたしました。8月1日の夏季校長、教頭、園長、園主任会では、この事件を契機として、命の大切さを効果的に指導するためにという特別研修を持ち、各校の取組みを中心として研修を深め、まとめとして特異なケースではあるが、これに類する事件が、今後、絶対に起こらないとは断言できず、「透明な存在」という表現の意味を十分考慮しなければならないということを基本に押さえました。
具体的な取組みとしては、子どもと教師が一緒に活動する時間を多くとること。一人ひとりを大切にということが、言葉だけに終わるのではなく、子どもへの指導の場や、学校運営全体の場で、具体的に実行に移すこと。一日のどこかの場面で、集団づくりを意識した活動を扱うことの三点を一層実行していくことを確認いたしました。本件の報道や、伺い知れる範囲の状況から判断して、ただし、学校において、全生徒の反応を見るということはいたしておりませんが、学校長とは緊密に連絡をとり、情報の収集をしており、現在のところ、緊急の指導を要する問題を含む事柄の報告は、聞いていないところであります。今後、児童、生徒の反応は、静かに語られる時期が来れば、浮かび上がってくると思っております。
被疑少年の犯行動機についての検察発表があったわけでありますが、議員ご提言と同様に、私どももこの事件は、子どもを取り巻く社会病理や、今の学校教育の抱える様ざまな問題を考えていく重大な機会というふうに押さえています。すなわち二点目の、この事件からの教訓についてであります。まず、この事件は、小動物の虐待から、幼児への暴行、刃物を使った殺傷へと、少年の犯行が次第にエスカレートしていったことが報道されています。そのことは、犯罪というものの大半は、小さな問題行動からエスカレートをしていくという分析と合致しており、初期段階での適切な指導の重要性を知ることができます。
もとより、この事件の特異性、残虐性というものは一般化できないのではないかと思っています。次に、少子化核家族化などを背景に、善悪のけじめや社会性の薄い子どもを産んでいないかとか、多くの有害情報や疑似体験によって、現実と虚構の境界があいまいになりがちということもあり、人間が本来持っている攻撃性や暴力性などの悪の部分を、幼児期からどのように制御していくか。また、人間として許されないことは、子どもだからといっても、してはならないことなど様ざまな人間関係を通じて、子どもたちの心に浸み込ませていくことが大切であります。そして、14歳は確かに少年ではありますが、むしろ条件次第で、ここまでやる可能性があるのかということも、改めて知らされたところであります。やはり、学校、家庭、地域社会の連携を密にして、児童、生徒理解に一層努めることや、個々の子どもの悩みや不安に対して、具体的に対応し、一人ひとりを大切にすることを実践していくと当時に、社会のあり方について、深い洞察が必要だということなどを、この事件の教訓として大切にしていく必要があると考えています。
 次に、三点目の心の教育や命の大切さにつきましては、今ほどこのことが問われているときはございませんし、現在、進んでいる教育改革もまた、そこに大きな焦点が当たっているところであります。一方、現在の少年の一部に見られる課題を考えてみますと、一つ目は、自立の遅れということであります。「大人になりたくない症候群」などと言われたり、少年自らが「自己中心主義」と言ったりして、家庭と学校の落差にショックを受けやすいということが指摘されています。二つ目は、対人能力の衰えであります。孤立はしたくない。自分には深く立ち入ってほしくないので、友人でも、希薄な間柄を好んだり、集団の中で身の処し方に戸惑う傾向が見られます。三つ目は、自由の理解が不適切なことであります。許容社会の影響もまともに受け、無軌道な行為でも、誰にも迷惑かけていないなどと自分をコントロールできなかったり、情報過多ということもあって、現実感覚が混乱している状況が見られます。
 四つ目は、変化に弱く、遠くを見ないということであります。すなわち指示待ち傾向にあり、価値基準が横並び思考や情緒的選択に終わってしまい、はるかな夢につなぐ興味、関心が薄くなっています。このような状況を踏まえ、個々の子どもの姿に合わせ、子どもたちが自ら進んで考え、判断し、表現、行動していけるたくましく創造的な能力や資質を育成する教育を進めていきたいと考えています。子どもは、もともと活力に満ちあふれた存在であり、特に知的エネルギーの潜在性は、計り知れないはずであります。この激動の時代は、二十一世紀も続くところでありましょうが、その中でダイナミックに活躍することを可能にするのは、まさに社会の変化に主体的に対応して、豊かに生きる力であり、その基礎的資質・能力の育成は、教育の大課題だということができます。
 最後に、四点目の学校、家庭、地域社会の協力態勢についてでありますが、教育は言うまでもなく、単に学校だけで行われるものではなく、家庭や地域社会が教育の場として、十分な機能を発揮することなしに、子どもの健やかな成長はあり得ません。学校には、当然、教育課程の編成の実施という、本来の業務がありますけれども、それはその活動は全く家庭や地域社会と隔絶するものではないわけであります。また、家庭にはそれぞれ家庭独自の方針が、底流にあるはずであります。それが強固な場合は、学校と相入れない部分が突出し、もし弱ければ、学校との意志の疎通に困難を来すことが往々にしてあるわけであります。家庭の教育力の向上のためには、学校と家庭との真の信頼関係が基盤となるものでありますが、学校自身の努力はもとより、関係機関や社会教育の一層の機能化が求められるものと思います。
 地域社会は、一見捉えどころのないように見えるものですが、行動的には様ざまな単位を形成しており、その教育力もまた大きく、広いのであります。その教育機能は、基本的にはまちづくりの結果としてのたたずまいにあります。それは、単に道路や家並みにとどまらず、その中で暮らす人びとのさりげない教育的配慮や感化力として表れ、その一言や態度、動作が自然に全体のコミュニティー意識を高めながら、少年たちが夢や目標を次第に明確にしていく助けとなるものであります。このように、社会全体、また大人一人ひとりが自問すべきものは様ざまな角度から多々あるわけで、学校、家庭、地域の教育機能の分担と連携をより進めていかなければなりません。
 例えば、不審者による子どもへの被害を防ぐということから、この夏の対応策として実施した、きしゅう君の家の取組みは、地域の協力を得て、全市的に広まり、その反響は大きく、他県からも問い合わせが何件か来ております。また、効果も大きくて、この取組み以後の不審者の出没は1件のみとなっておりますので、協力・連携態勢の成果として喜んでおります。今後とも一層の連携を図って参りたいと考えております。
以上であります。
            (教育長 角莊三君 降壇)

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*1:普遍価値教育論の源泉:日本青少年研究所霊友会の場合 http://d.hatena.ne.jp/kitano/20050320#p1 参照