歴史が最後まで問うこと


きくがわさんの短い文には、長文には無い視界の広がりを感じさせられることが度々あります。(もちろん長文には長文にしかない魅力があります。念のため。)

浮世ひびわれの記
http://homepage1.nifty.com/kikugawa_koubo/hibi.htm

2004/01/21
歴史に刻まれる「年」。
 
昭和十六年  東條英機
平成十六年  小泉純一郎
 
歴史が最後まで問うことは、
「その時、人民はなにをしていたのか」だ。


↑コレを待ちうけ画面にしている人ってどんな人なんだろう?

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