自殺予告事案対応ガイドラインについて

総務省が「インターネット上の自殺予告事案について適切かつ迅速な対応を促進する取組」を進めており、関連業界4団体が「ガイドライン」案を策定して意見を募集していることについては、すでにkitanoのアレでも紹介しました。
 

IT安心会議:インターネット上における違法有害情報対策
http://d.hatena.ne.jp/kitano/20050905

 
総務省の思惑についてはいろいろありますが、ここでは業界四団体が策定した「インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン(案)」について、情報と意見を書いておきます。
 

総務省
インターネット上の自殺予告事案について適切かつ迅速な対応を促進する取組
http://www.soumu.go.jp/s-news/2005/050825_4.html

総務省では、自殺予告事案へのプロバイダ等の対応について、電気通信事業者団体及び警察庁とともに検討を進めてまいりました。
検討の結果、社団法人電気通信事業者協会、社団法人テレコムサービス協会、社団法人日本インターネットプロバイダー協会及び社団法人日本ケーブルテレビ連盟の4団体が共同で、自殺予告事案に関し、プロバイダ等が警察から発信者情報の開示を求められた場合における開示の判断基準や手続等を、新たに定めることとなりましたのでお知らせします。1  経緯
最近、インターネット上の電子掲示板等に自殺の決行をほのめかす書き込みや集団自殺を呼びかける書き込みがなされ、これらの自殺予告を発見した者から通報を受けた警察が、自殺を防止するため、当該書き込みをした者の氏名、住所等(以下「発信者情報」といいます。)を入手することが緊急に必要な事案(以下「自殺予告事案」といいます。)が見られます。
総務省では、本年5月から、電気通信事業者団体(社団法人電気通信事業者協会、社団法人テレコムサービス協会、社団法人日本インターネットプロバイダー協会及び社団法人日本ケーブルテレビ連盟。以下「4団体」といいます。)及び警察庁とともに、こうした自殺予告事案に対して、プロバイダ等による適切かつ迅速な対応を促進するための方策について検討を進めてまいりました。
2  検討の結果等
この検討の結果、新たに、4団体によって「インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン」(以下「ガイドライン」といいます。)を策定し、自殺予告事案に関し、プロバイダ等が、警察から発信者情報の開示を求められた際における情報開示の判断基準や手続等を定めることとなりました。
なお、ガイドライン案について、4団体による意見募集が、明日から本年9月22日(木)まで行われます。
総務省としては、今般のガイドラインの策定及びガイドラインを踏まえたプロバイダ等による対応を通じて、プロバイダ等によるインターネット上の自殺予告事案への適切かつ迅速な対応が促進されることを期待しています。
3  ガイドラインの主な内容
(1)   自殺予告事案について、緊急避難の要件を満たす場合には、通信の秘密である発信者情報を警察に対して開示することが許されることを明確化
(2)   具体的な自殺予告事案における緊急避難の要件判断の基準及び発信者情報の開示手続
4  今後の予定
(1)   8月26日(金)から9月22日(木)までの約1か月間、4団体から、ガイドライン案について意見募集を行います。(※注)
(2)   意見募集終了後、寄せられた意見を参考にした上で、4団体においてガイドラインを決定し、公表します。

■社団法人テレコムサービス協会
報道資料 「インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン(案)」に係る意見募集について
http://www.telesa.or.jp/consortium/guideline_suicide_050825.pdf

社団法人電気通信事業者協会
社団法人テレコムサービス協会
社団法人日本インターネットプロバイダー協会
社団法人日本ケーブルテレビ連盟
2005(平成17)年8月25日

【意見募集要領】
(1) 意見募集対象
インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン(案)
(2) 資料入手方法
当ウェブページで閲覧に供しているほか、社団法人電気通信事業者協会、社団法人テレコムサービス協会、社団法人日本インターネットプロバイダー協会、社団法人日本ケーブルテレビ連盟の各事務局で配布しています。
(3) 意見提出方法
住所、氏名、所属団体名又は会社名を明記の上、日本語にて、以下のいずれかの方法によりご提出ください。
①電子メールの場合
電子メールアドレス: jimukyoku@telesa.or.jp
②FAXの場合
FAX番号:03-3597-1096
社団法人テレコムサービス協会内事務局
意見募集係宛

インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン(案)
http://www.telesa.or.jp/consortium/guideline_suicide_draft050825.pdf

 
通信手段の発達は、自殺の加速と減速、その両方の可能性を広げているとは思いますけれど、通信の発達が自殺の“原因”というわけではないし、逆に、これまで実施されてきた発信者開示が自殺の“原因”を低くすることにも必ずしもつながっていません。
という意味で、通信技術がネット自殺の“動機”になっているとの見解には、私は同意できません。技術は自殺の“手段”ではあっも“動機”ではない。
インターネット悪玉論や通信技術悪玉論に、私は反対です。
ガイドライン」は、通信技術が自殺を止める可能性を増やすことにもつながり、通信技術悪玉論を廃する意味では有意義です。プロバイダよって対応したりしなかったり、プロバイダによっては過剰に対応して余計な通信情報も開示してしまったりといった具合に、対応がバラバラである状況が「ガイドライン」によって是正されるという点も、通信技術の“運用”への信頼性を高めるという意味では有意義でしょう。
ただし、「ガイドラインありさえすればネット自殺は全部防げる」的な過剰な期待はできないと思いますし、期待すべきでもないと思います。
「自殺予告事案」について、「インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン(案)」はこう書いています。
 

自殺予告を含む自殺関連のウェブサイト等で知り合ったことを契機として集団自殺を決行した事案の件数及び死者の数は、2004(平成16)年においては1年間で19件55人であったものの、2005(平成17)年は6月末までで既に25件70人に上っている。

 
事前に自殺動機が無い第三者にメールやウェブサイトで自殺予告していれば、情報開示によって自殺を止めることができる可能性があります。しかし、自殺動機がある人にメールで自殺予告した場合は、自殺を止めるケースももちろんありますが、逆に一緒に自殺しましょうという流れになって集団自殺を促し、通信手段の発達が自殺の連鎖を生む場合もあります。
通信手段の発達は、自殺を連鎖を止める可能性もありますが、同じくらい自殺の連鎖を加速する可能性もあります。両方の効果があるということであって、どちらかひとつにその可能性を絞るということはできないと思われます。
誰かに自殺を予告するというのは、誰かに自殺を止めてほしいという気持ちと裏腹だと言われていますが、自殺予告メールの受信者に自殺願望があると自殺行動を加速する場合もあって、そういう場合はメールを受け取った側が自殺の当時者になってしまう場合もあります。メールを受け取った人にも自殺の動機がある場合は、インターネット上の自殺予告事案に対応することはできません。だから、「インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン」が作られても、「ガイドライン」が施行された後もネット自殺・ネット心中の発生は続くでしょう。
ガイドライン」が無意味だとは思いませんけれど、「ガイドライン」がありさえすればネット自殺は全部防げる的な過剰な期待はできないです。防げるのはあくまでも一部であって、プライバシー権」といった人権を制限しさえすれば困った事態をすべて解決できるかのようなネオリベ的見解には同意できません。
 
ガイドライン」案の個人情報の開示の「基準」ですが、案を読むと、「刑法第37条第1項本文に規定する緊急避難の要件を満たすこと」が基本となっており、これは従来から実施されてきた個人情報開示の基準とほぼ同じですので、基本的*1に妥当な基準であると思われます。
現在の緊急避難基準は、次の三つの要件のすべてを満たすことで発動します。
 

緊急避難が成立するための要件
① 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難があること(現在の危難の存在)
② 危難を避けるためにやむを得ずにした行為であること(補充性)
③ 避難行為から生じた害が避けようとした害の程度を超えなかったこと法益の権衡)

 
この緊急避難基準を自殺のケースにあてはめると、自殺予告という生命に対する“現在の”危難があり、居場所がわからないなど個人情報の開示をするしか危難を避けるための方法が無く、自殺の制止という目的のためだけに個人情報の開示を求めている場合に、緊急避難基準に合致するということになりそうです。
これは従来から実施された個人情報開示の基準とほぼ同じで、基本的に妥当なものと思われます。
 
緊急避難基準については、「もっと基準を緩和し、自殺の実行予告以前の段階でも開示させるべきだ」との見解もあるようですが、私は反対です。
自殺の“実行の予告”については制止する必要がありますが、実行に至らない段階、つまり思想や思考の段階で「そういう思想はやめろ」とか「そういう思考を持つな」と制止するために個人情報を開示するなどの強制手段をとるべきではありません。
たとえば「こんなに苦しい世の中なら、死んだほうがましだ」という意見の表明があったとして、「だからこれから死ぬことになる。一緒に死ぬ人募集します」といった行動の予告がある場合は緊急避難基準にあてはまりますが、そうではなくてただ単に意見の表明があっただけの場合は、緊急避難基準にあてはめて個人情報を開示するのはやりすぎでしょう。
思想や意見の表明の段階でいちいち個人情報を開示するようになったら、「こんなに苦しい世の中なら、死んだほうがましだ」という意見表明が萎縮してそういう意見が書きこまれなくなります。「こんなに苦しい世の中なら、死んだほうがましだ」という意見を書きこまなくなることで自殺は減るというケースはゼロではないかもしれませんが、「こんなに苦しい世の中なら、死んだほうがましだ」という意見を見た人からの自殺志願者へのサポートが無くなる可能性があるという意味では、逆に自殺を増やしてしまう可能性もあります。
そもそもはじめから自殺するつもりが無い人が「こんなに苦しい世の中なら、死んだほうがましだ」と言っている場合もあるわけで、自殺意思が明白ではない段階でのプライバシー権の制限としての個人情報開示には私は反対です。
という意味で、緊急避難基準を厳格に適用する「インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン(案)」は妥当なものであり、これ以上の基準の緩和はすべきではないと思われます。
 
「インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン(案)」は、基準と手続きについては、基本的にほぼ妥当なものといえますが、ガイドラインガイドライン通りに運用されなければ意味が無いわけで、そういう意味では、各プロバイダがガイドラインをどれだけ遵守でき、通信の秘密を守るべきときに守る姿勢をつらぬくことができるかが、今後の課題となるでしょう。
ガイドライン」案では、プロバイダに対する警察機関の「発信者情報の開示に関する協力依頼(照会)」の様式を定めていますが、こうした様式がなし崩しになって、たとえば警察の電話一本だけで開示してしまうというようなことが常態化することは、「ガイドライン」と通信の秘密を守る業界への信頼性を下げることになります。
そういう意味では、ガイドラインをつくっただけですべてよし、とは私は考えていません。
ではどうしたら良いか。
たとえば、ガイドラインのプロバイダの運用について、苦情を受けつける第三者機関を業界で設置して、ガイドラインの運用に問題があった場合に、プロバイダとユーザーの間だけで問題を処理するのではなく、開かれた場で業界で対応していくことが、ガイドラインのプロバイダの運用の信頼性を高めていくことになると思われます。
ガイドライン」案は業界四団体が作ったものですが、その業界四団体が「ガイドライン」の運用について苦情を受付け、「ガイドライン」の運用の実行性をチェックするための組織を作るといったことがあれば良いだろうと思います。
たとえば、個人情報開示について苦情が発生した場合、プロバイダは「ガイドラインに添って処理したので妥当だった」という説明だけを何万回も繰り返して埒があかないという事態も想定されますが、そういう場合には業界が設置する第三者機関に苦情を申し立てることによって、第三者機関が精査し、プロバイダに対する警察機関の「発信者情報の開示に関する協力依頼(照会)」の様式をプロバイダから苦情申立人に開示して納得してもらうといった対応をとることは可能でしょう。もし警察機関の「発信者情報の開示に関する協力依頼(照会)」の様式を満たさずに開示していた場合は、是正措置をプロバイダに求めることによって「ガイドライン」の運用の問題は是正されることが期待できます。
 
総務省などの行政機関が苦情を受けつけるという提案には、行政が個人情報の開示や通信内容に介入する余地を与えるということにもなりかねないので、私は賛成できません。そういう行政からの不当な介入を阻止するという意味でも、業界での「ガイドライン」の運用の実行性を自主的にチェックするための組織の設置が求められます。
 
以上の観点から、以下の通り、意見を送ることにしました。
修正または追加すべきことがありましたから、メールで連絡していだたければ検討します。
 

to: jimukyoku@telesa.or.jp
from: ki@tree.odn.ne.jp
インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン(案)についての意見
 
社団法人テレコムサービス協会内事務局 御中
意見募集係 様
 
 2005年9月21日
 住所:********************
 氏名:北野桂
 所属団体名:任意団体Re-anger
 
 下記の通り、「インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン(案)」に対する意見をお送りします。ご検討の程、よろしくお願い致します。
 
                   記
 
「インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン(案)」についての意見
 
1 現行の緊急避難基準(現在の危難の存在、補充性、法益の権衡)を厳格に適用する限りにおいて、「インターネット上の自殺予告事案への対応に関するガイドライン(案)」に基本的に賛成する。
2 緊急避難基準を緩和して自殺の実行予告以前の“意見表明”の段階でも開示させるべきではないかとの見解には、単なる思想や見解の表明を不当に萎縮させる可能性があり、自殺抑止をむしろ狭めてしまう可能性もあるため、反対する。
3 「ガイドライン」案がすべての自殺予告事案を解決するわけではない。プライバシー権を制限しさえすればすべての自殺予告事案は解決するといった楽観的な人権制限論に同調して、緊急避難基準の厳格な運用を盛り込んだ「ガイドライン」案が骨抜きになってしまうことがないよう、緊急避難基準の厳格な運用を希望する。
4 「ガイドライン」案が期待した効果をあげるかどうかは、プロバイダ等のガイドラインの運用如何にかかっている。プロバイダ等の事業者がガイドラインを厳格に運用されるよう、引き続き業界が努力するとともに、「ガイドライン」の厳格な運用に実行性をもたせるた、また行政からの不当な介入を予防するため、また事業者による「ガイドライン」の不当な運用によって発生する苦情を処理するため、「ガイドライン」運用についての適正性確保のための業界の自主的な第三者機関の設置が必要と思われる。
5 「ガイドライン」運用についての適正性確保のための業界の自主的な第三者機関では、たとえば、苦情申立人から警察機関の「発信者情報の開示に関する協力依頼(照会)」の開示請求があった場合には、第三者機関が当該プロバイダに「発信者情報の開示に関する協力依頼(照会)」を苦情申立人に開示するなど、業界としてガイドラインの運用についての適正性確保のための努力をすべきである。
 
以上。

 
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*1:ただし、刑法解釈は裁判の判決によって変化する場合もあり、判決が常に正しいとは限らないので、ケースでの対応も場合によっては必要でしょう