暑い夏の日だった
「私たちはどうしてここにいるんでしょう?」
唐突にS君が言った
S君がそんなことを聞く男だとは思わなかったので
私はとてもとまどった
なぜそんな根源的な問いを私に向けるのか
私にはわからなかった
 
S君は零細企業の営業マンだった
S君の会社は
私が勤務している会社の下請けだった
S君はいわゆるエース社員だった
私がS君を通じてS君の会社に仕事を発注し
S君は私を通じて私の会社に製品を納品する
S君とはただそれだけの関係で
それ以上でも以下でも無かった
仕事でのつきあいしかなかったが
S君はそのとき私に質問したのだった
「私たちはどうしてここにいるんでしょう?」と
 
私はS君があまりにも忍耐強いことに対して
S君に漠然とした不安を感じていた
我慢強いことは良いことだ
すくなくともそれが世間の評価であり美徳というものだ
けれどS君の忍耐強さに
S君への弱さと強さを直感していた
それはなんとも言えない違和感だった
 
S君は仕事一筋の男だった
それまで女性とつきあったことはないとS君から聞いたことがある
S君の上司からもS君のことを仕事一筋の男と評価していた
このところ残業が続いているので少し休ませて
彼女の一人でも見つけて身を固めてほしい
というようなことをS君の上司が言っていたのを聞いたことがあった
S君はいつもなにかに追いたてられるように
いつも仕事を最優先にし
周囲の期待以上の仕事をしてみせて
「ごくろうさまです。ありがとう」と
私に声をかけられたときにやっと少しだけ
ほっとしたような表情をみせるような男だった
それがエース社員というようなものだろう
などと私はなんとなく納得していた
 
「私たちはどうしてここにいるんでしょう?」
そうS君が言ってからちょうど4日後の日曜日に
自宅にいた私に同僚から電話がかかってきた
胸騒ぎを感じながら電話を受け取ると
同僚はS君が倒れたという短い言葉を伝えた
事情がわからないまま私はS君が入院したT病院に行った
病院に行くと
S君の母親と妹が
薄暗い病院の廊下でベンチにすわって黙り込んでいた
とても声をかける雰囲気ではなかった
S君がどうしてこんなことになったのかわからなかった
けれどS君の家族に
S君が倒れた理由を聞けなかった
私がそれを聞いてはいけないような気がした
S君が倒れることを事前に私は知っていたわけではないのに
事前に倒れることを知っているかのような罪悪感が
私の内側で渦巻いていた
暗い病院の自動販売機の照明のまわりで
一匹の蝿がブンブン飛んでいたのが見えた
私はその蝿を
たたきつぶしてやりたい衝動に駆られた
 
翌日S君は死んだ
倒れてから死ぬまで意識がもどることはなかった
死因はクモ膜下出血
過労死だった
後で聞いた話では
S君は休日もほとんど休みなしで働き
残業は月200時間を超えていたという
零細企業の社員だがエース社員として誰からも認められ
S君に仕事をまかせれば仕事はうまくいくと
みんなから信頼されていた
そしてS君もその期待に応えようと必死に働いた
働いて働いて働いて
そして肉体の限界を迎えて
死んだ
 
私の勤務する会社でも
早死にする社員が複数いた
社長から信頼が厚かったK部長は45歳で肺癌で死んだ
営業のエースだったM課長は
41歳で自動車事故で死んだ
居眠り運転だった
誰かがいなくなっても
会社は別な誰かを空いたポストに就け
なにごともなかったかのように組織は動いた
S君がいた会社でも
一ヶ月と経たないうちに新人社員が入って
よろしくお願いしますと言って私に名刺を渡した
 
S君の葬儀で
S君の母親は号泣した
その場にいた人たちはみんな慰めの言葉を言ったが
言葉でS君の母親が慰められることは無かった
葬儀の後、S君の家族に会社から渡された見舞金が
120万円だったことを知った
享年35歳
S君の人生は終ってしまった
私に問いかけだけを残して
 
それから何年か後のS君の命日に
S君のことを考えた
S君がマジメに働く姿と
「私たちはどうしてここにいるんでしょう?」
という言葉を思い出した
けれどそれ以上のことはなにも思い出せなかった
ふとテレビに目をむけると
一匹の蝿が
テレビのまわりをブンブン飛びまわっていた
その様子を
私はしばらくじっと見つづけていた