ビョーキのニッポン 無痛の危険

偶然見つけた東京の留学生さんの写真アルバム。
外国人の目から見て日本の首都がどのように見えているのかがわかるような気がします。
 

■sistaintokyo.blogs.com
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Sista In Tokyo Pictures
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元気を出そう、ニッポン!!
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元気が無いニッポン。
誰がニッポンをビョーキにさせたのでしょうか?
ポスターを見て、性病を女性に感染させた男性が病気で寝こんだ女性に「元気を出せ! オレにまかせろ」と言っているようだと思ったのは私だけでしょうか。
「元気を出そう、ニッポン!!」と言う前に、まずおまえのビョーキをなんとかしろよ!
 
ビョーキといえば、先月、私の知人からメールがあって、癌が治りましたと書いてありました。癌は治る病気だというのは知っていましたが、治って本当によかった。
治療はかなり苦しかったそうですが、鎮痛薬とか痛みや吐き気を止める薬は飲まなかったそうです。よく頑張ったナァ。
痛みを感じるということはとても大事なことで、痛みは「いまのままではアブナイ、危険だ」、という体からの大事なメッセージなんですよね。痛みという言葉をちゃんとよく聞いて、疲れたら休む、痛かったら痛くないようにする、というあたりまえのことをしていれば、生命としての均衡は維持されるように、人の体はできています。
素直に体の痛みの声に耳を傾けて、無理な生活をしないようにするのが大事ですね。*1
 
ところで、15年ぐらい前に、あるキリスト教の牧師からこんな話を聞きました。
その牧師が外国のある宣教地区で宣教していた時、ある少年と出会ってこんな体験をしたそうです。
ある日、牧師が忘れ物をとりにロッカーを開けようとしたのですが、南京錠がさびついていて、鍵を開けることができず、困っていました。
するとその時、やせ細っていかにも病人のような10歳ぐらいの少年が近づいてきて、牧師にこう言ったそうです。
「僕にやらせて」と。
さびついているとはいえ、鋼鉄製の南京錠を素手で開けることは無理だし、まして病気の子どもが南京錠を開けることなどできない、と牧師は思ったのですが、少年は笑顔で「まかせて」と言うので、まかせたのだそうです。
すると、少年は、南京錠に手を伸ばして、くいっとひねって鋼鉄製の錠を壊して開けてしまったそうなのです。
それを見た牧師は、とても驚いたそうです。鍵を壊しただけではなく、少年の指まで壊れていたことに。
錠を壊したために少年の指の一本は骨が見えるほど深手を負い、皮膚は割け、筋肉や関節が露出し、出血していたそうです。けれど少年は、自分が大怪我をしたことにまるで気づかなかったように、平然としていたのだそうです。
少年は、痛みを感じることができない病気に罹っていました。少年はハンセン病の末期患者だったのです。
ハンセン病は、末期になると肉体の痛みを感じる細胞が麻痺をおこすため、危険な病気の症状になったり負傷しても、痛みを感じることができない病気です。たとえば、ハンセン病の患者はカッターで静脈を切ってしまっても、そのことに気づかないので、出血を止める機会を失って死んでしまうこともあります。
少年はとても貧しい国の、貧しい地域で生活していたため、発症してしまい、治療を受けることができず、かなり病気が進行してしまっていました。だから、どんな痛みも感じない体になっていたのです。
 
痛みには理由があります。
鋼鉄製の鍵を素手で壊そうとすると、手が痛みます。痛みは「それ以上力を入れてはいけない」という体からのメッセージです。そのメッセージを聞くことができない人は、体を壊してしまいます。
痛みの存在理由は、人の体だけではなく、社会や国という集団でも同じことが言えるのではないでしょうか。
国や社会がビョーキになって、痛みを感じている人が、「痛い!」「やめろ!」と叫ぶことはまったく正しいことです。
たとえどんなに少数であっても、社会の痛みを感じ、痛みを訴える人は存在していなければなりません。社会にとってその必要があるからです。
どんなに少数でも、たった一人でも、本当のことを感じ、伝えることのできる人は、社会にとって意味のある存在です。
痛みの言葉に耳を傾けず、痛みを排除するだけでおわらせる社会は、とりかえしのつかない大怪我をして死んでしまう可能性が大きくなるでしょう。錠を素手で壊したハンセン病の少年のように。
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*1:この感想は特定個人を想定したものではありません。