立川反戦ビラ事件:検察が控訴

検察は不当にも控訴しました。検察の控訴は遺憾ではありますが、被告人のみなさん、これからもがんばりましょう。大洞さんのサイトの「控訴審でも無罪を勝ち取るぞ」の文字に少し安心しました。
興味深い情報がいくつか。立川反戦ビラ弾圧事件の本が1月25日に出版されるそうです。
それから、葛飾ポスティング事件では300万円で釈放とのこと。大変だ。
ここ3年ぐらい各地方自治体でいわゆる「ピンクビラ規制条例制定運動」なる政治運動が同時発生的にでき、主に県でピンクビラ規制条例が作られてビラを投函した人が逮捕され処罰されるという実績が作られてきたわけですが、今日の政治ビラ投函事件の続発の状況をみるにつけ、ピンクビラ規制条例制定運動が現在の状況にかなり影響を与えているように感じます。
これは私の直感ですけれど、ピンクビラ規制条例制定運動と政治ビラの摘発逮捕を促している勢力は、裏でどこかでつながっている可能性があるのかもしれません。まあ私の手許には状況証拠しかなく、みなさんにお伝えできるような確たる情報は無いので可能性の推測にとどまるわけですが。
 

■BORAのホームページ
http://www.geocities.jp/solea01/
街から反戦の声が消えるとき
http://www.geocities.jp/solea01/nunakatasanhon.html
葛飾弾圧その後・保釈を勝ち取る
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/solea01/view?.date=20050115

マンションでのビラ配付弾圧事件報告集会
1月22日(土)午後7時より
青戸地区センター大ホール(4階)
主催 マンションビラ配布弾圧事件を許さない会

ビラ配布の自由を守る葛飾民集
1月29日(土)午後2時より
金町地区センター大ホール
主催 ビラ配布の自由を守る葛飾連絡会
亜細亜大学法学部助教授 石埼学さんが発言

亀有弾圧
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/solea01/view?.date=20050108

亀有のポスティング弾圧は拘留期限が1/12まで。2回目の拘留は8日間だったという。 ところでやっぱりというか、担当検事が崎坂誠司。立川反戦ビラ、藤田さんへの弾圧に続き3度目の登場。もう偶然の一致なんてとても思えない。

■樹心社
http://www.jade.dti.ne.jp/~jushin/

ルポ戦争協力拒否 吉田敏浩著/岩波書店
ルポ 戦争協力拒否 (岩波新書)
http://d.hatena.ne.jp/asin/4004309271
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004309271/

立川反戦ビラ訴訟について小倉秀夫弁護士がコメントしている件についてコメントしておきます。
 

刑法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M40/M40HO045.html

(住居侵入等)
第百三十条  正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。

 
立川反戦ビラ訴訟では、この住居侵入罪が問われたわけですが、小倉秀夫氏はウェブログの中で
 

他人の私的領域においてその他人の意思に反して政治的表現活動を行う自由
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/57bc4f290ff83de5297cbef66a9a8307

この自衛隊官舎の管理者及び住民が、「反戦ビラ」投函のために被告人らが官舎の敷地内に立ち入ることを承諾していないことは相当程度明示されていたといえそうです。

 
と書いているわけですが、「官舎の管理者及び住民が敷地内に立ち入ることを承諾していない旨を相当程度明示している」ことが「住居侵入」の要件であるとすれば、それを明示していない場合は「侵入」ではないということになり、「侵入」という言葉の定義がそこに立ち入ることへの可否の意思表示の有無によって左右されるということになります。
この考え方は、学問的には平穏侵害説の対極にある学説で、住民の居住の権利を侵害しているか否かによって侵入の構成要件性を認める新住居権説よりもさらに右というか、過激に純化された許諾権説とか意思侵害説と呼ばれている少数学説です。
許諾権説なり意思侵害説なりというのは、結論から言うと間違った学説であると考えられます。
その理由はなぜか。
「意思侵害説」では、意思表示がある場合に罪があり、意思表示が無い場合に罪が無いということになります。しかし、それはおかしい。だって意思表示があっても無くても、侵入は「侵入」でしょう?
たとえばもし、表札が無く、「入るな」とか「出ていけ」という意思表示もなくてドアが開いていたら誰でも勝手に入ってもいいのかというと、まあ玄関まで入って「ごめんください」と言う慣習があるので玄関まではまあ合法しょうが、それよりも内側はに入ること通常は*1侵入だと考えられているわけです。
つまり「侵入」とは、住民の意思表示の問題ではなく、住民の意思表示以前のなんらかの生活実態に対する平穏を侵害したという要件によって決定されるべきであると考えるのが一般的でしょう。
誰の目から見ても侵入していると言えるような、実質的な個人生活の平穏ないしは排他的業務の平穏に立ち入ってその平穏(プライバシーと言換えても良いと思いますが)を侵害するという実態事実が必要ではないかと思います。
念のため、被告人の言い分も書いておきます。
 

最終弁論要旨
http://www4.ocn.ne.jp/~tentmura/kohan2.html

第6 構成要件不該当
3 ポスティングのための立入行為は居住権者の包括的承諾を受けており住居侵入罪の「侵入」に該当しない
2 本件立入行為は住居の平穏を何ら侵害していないので住居侵入罪の「侵入」に該当しない
(1) 住居侵入罪の「侵入」とは、住居の事実上の平穏を侵害する態様による立入行為   である。最高裁は、住居侵入罪の保護法益につき、病院敷地内に侵入した王子野戦病院事件における事案において「住居侵入罪の保護すべき法律上の利益は、住居等の事実上の平穏であり、居住者又は看守者が法律上正当な権限を有するか否かは犯罪の成立を左右するものではない」(最高裁昭和49年5月31日決定・裁判集[刑事]192号571頁)とし、建造物の囲繞地の関係につき東大地震研事件において「建物の囲繞地を刑法130条の客体とするゆえんは、まさに右部分への侵入によって建造物自体への侵入若しくはこれに準ずる程度に建造物利用の平穏が害されることからこれを保護しようとする趣旨にほかならないと解されるからである」(最高裁昭和51年3月4日判決・刑集30巻2号79頁)としている。
(2) 本件において被告人らの立入った場所は、自衛隊官舎の階段・通路部分であり、   そこは個人のプライバシ−が尊重されるべき各室の居住者が排他的に占有使用している専有部分のスペ−スとは異なり、各居住者が共同で使用している共用スペ−スである。階段・通路部分には、各室居住者が購読や購入している新聞や牛乳等の配達員や、郵便配達員や宅配便の業者だけでなく、ピザ屋、宅配寿司、不動産業者等の商業用宣伝チラシ、布教のための宗教パンフ、政党や市議会議員報告等のビラ配布のために、居住者以外の不特定多数の人が、いちいち居住者の同意を受けずに自由に立入っていることは公知の事実である。
6号棟641号室に居住していた浅霧修は、宅配寿司やピザ屋の宣伝広告チラシがドアポストに投函されており(4〜5頁)、3号棟341号室に居住している及川範夫も、宗教関係者が自室まで尋ねて来た旨を証言している(23〜24頁)。
(3) 被告人らの「自衛隊イラク派兵反対!一緒に考え、反対の声を挙げよう!」等   と書かれたビラを自衛隊官舎の玄関ポストへポスティングする方法は、ピザ屋、宅配寿司、不動産業者等が商業用宣伝チラシを玄関ポストへポスティングする方法と全く変わらないものであり、時間的にも午前11時30分ころから午前12時ころまでの30分程度でそのビラの枚数も各戸に1枚というものであり、自衛隊官舎の住居の事実上の平穏を侵害するようなものでなかった。
・・・・・
4 住居権者の意思は憲法上保障された表現の自由に制約され本件立入行為は住居侵入罪の「侵入」に該当しない
(1) 仮に前述したように、ポスティングをするための自衛隊官舎の階段・通路部分への立入行為について、同官舎の住居権者の包括的承諾を受けているとは考えられないという立場に立ったとしても、被告人らの本件ポスティングは、国内でも世論が二分されている状況にある日本政府の自衛隊イラク派兵について自衛隊員やその家族に派兵反対を訴えかけようとするものであり、既に前項の「表現の自由憲法21条)に対する重大な侵害」において詳述したが、民主主義社会において最大限に尊重されなければならない憲法上国民に保障された表現の自由の行使のための手段として行われたものである。
(2) 人々が様々な情報を発信・受容するためこれだけビラが出回っている情報化社会である現代社会では、ポスティングは「ある種の生活の慣行として受忍」されている(奥平・12頁)。ビラを受け取った居住者は、ビラを捨てる・捨てない、読む・読まないという選択の自由があるのだから、ビラの内容が名誉棄損等によって個人の法益を侵害するものでないかぎり、意に反するビラを受け取りその内容が迷惑とか不愉快だと感じたとしても、互いに異質である多様な価値観が共存する寛容な社会である民主主義国家においては、それは受忍すべき範囲内のことなのである。
すなわち、現代社会では日常的に行われている集合住宅のドアポストへのポスティング、とりわけ、憲法上国民に保障された政治的メッセ−ジを自衛隊官舎に居住する自衛官やその家族に伝えようとした被告人らのポスティングのための自衛隊官舎への立入りについては、例え自衛隊官舎に居住する住居権者の意思に反したものであったとしても、住居権者はそれを受忍すべきものである。
(3) 全逓組合員の局舎内への立入行為が建造物侵入罪に問われた全逓大槌郵便局事件において、最高裁判所は夜間、多人数で土足のまま約1000枚のビラを局舎各所に乱雑に貼付する目的での全逓組合員の局舎内への立入りは、「管理者としては、このような目的による立入を受忍する義務はなく、これを拒否できるもの考えられること」(最高裁判所昭和58年4月8日判決刑集37巻3号215頁)として、建造物侵入罪の成立を認めている。これは、正当な目的による局舎内への立入行為については、仮に管理権者の意思に反していても、管理権者は立入行為を受忍すべき義務を持っており、そのような場合は、「侵入」行為は存在せず、建造物侵入罪には該当しないということを最高裁判所自身が認めていると解することができる。
(4) よって、自衛隊官舎の居住権者の意思も、住居の事実上の平穏を侵害するようなことのない態様でなされた憲法上保障された表現の自由の行使としての本件被告人らの自衛隊官舎へのポスティングのための同官舎の階段・通路への立入行為については内在的制約を受け、例えその立入行為が居住権者の意思に反したとしても、被告人らの立入行為は住居侵入罪の「侵入」には該当せず無罪となる。
(5) なお、国学院大学の安達光治氏は、本件事件で被告人らの立ち入ったのは共用スペ−スであり、そこは各居住者の完全なプライベ−トな領域ではなく、むしろパブリックな領域というべきであるから、個々の居住者の主観的な承諾意思は問題とならず、居住者の立ち入りの承諾意思は管理権者の管理権に代表されることになるが、本件のような表現活動は憲法上特に手厚い保護を受けるのであるから、管理権はその限度で内在的制約を受け、本件のような平穏な態様の表現活動に対しては、管理権侵害は問題とならない、すなわち、住居侵入罪の「侵入」には該当しないとしている(法学セミナ−2004年8月号・安達光治「事件の刑事法的問題〜「住居」の管理権とその限界」)。

 
小倉秀夫氏はウェブログの中で
 

http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/bb5bd26b38c4f08835bef85210c58ede

集合住宅においては「共用スペース」があります。玄関から各部屋に至るまでの階段・廊下部分はこの「共用スペース」に含まれるのが一般的です。
 しかし、これらの空間は、当該集合住宅の居住者の間で「共用」なのであって、非居住者が自由に立ち入り自由に利用してよいという意味で「共用」なのではありません。したがって、ドアの前の廊下部分は「共用」スペースだから、ビラ配り目的で立ち入ったとしても住居侵入罪に当たらないというのはナンセンスです。

 
と書いています。まあこれが弁護士を名乗る人の文なのかとびっくりさせられたわけですが、この議論には住居侵入罪で規定する「住居若しくは人の看守する邸宅、建造物」とはなにかという定義の問題を含んでいるように思われます。
さて、「共有スペース」は、はてして「住居」でしょうか?
通路などの「共有スペース」は、個々の住民の個人的私生活上の利益をもたらす場ではなく、その集合住宅の住民全体にとって共通した生活の利便をもたらす場ですよね。
だってそうでしょう? 玄関の外の共有スペースでふとんを敷いて睡眠をとったりセックスしたりする人はまずいません。通路は部屋から外部、または外部から部屋へと移動するための場所です。
玄関の外の共有スペースに個人のプライバシーがありますか? 通常はいろんな人が通過・移動すると考えられているわけで、集合住宅の通路は個人のプライバシーは基本的に存在しないと考えられているわけですよ。
共有スペースは、さまざまな人が移動するという便益をはかるために作られているのであって、自衛隊政治的主張の便益を計る目的で設置されたわけでも、住民が酒を飲んでよっぱらって寝るために作られているわけでも、個人のプライバシーを保護するためにつくられているわけでもありません。個人のプライバシーは通路の機能ではなく“居室”の機能です。
敷地や通路やロビーなどの共有スペースは、準パブリックな空間ではあっても、純然たる私生活の空間とは言えません。通路などの共有スペースは、刑法上の「住居」ではなく、純然たる公共空間とも言えません。公共の場所でも住居でもない中間の領域、「準公共的空間」「準パブリック空間」と考えるべきです。
 
被告人は「住居」についてこう主張しています。
 

最終弁論要旨
http://www4.ocn.ne.jp/~tentmura/kohan2.html#Anchor434020
第6 構成要件不該当
1 自衛隊官舎の敷地は囲繞地ではなく「住居」には該当しない
(2) しかし、集合住宅である自衛隊官舎の敷地が、「住居」といえるためには、門扉等によって取り囲まれた囲繞地でなければならない。
本件における自衛隊官舎の1号棟から8号棟の建物が建っている敷地は、敷地の周囲に金網フェンスが設置されてはいるものの、東側及び北側の公道に接する部分に8カ所に設けられた出入口には、外部との交通を遮断する門扉等の工作物は一切設置されておらず、その間口は6メ−トルないし9メ−トルで、昼夜を問わず、外部道路から自由に出入りできる構造となっている(甲246号証・貼付写真6、7、8、9、110、11、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22、23、24、26、27、28、29、現場見取図2)。
また、東側に隣接する道路は狭く、歩道が設けられていないことから、自衛隊官舎北側にある立川市立南砂小学校や、同官舎南側にある同市立第二中学校に通学する児童・生徒が自衛隊官舎東側の敷地内を通路として自由に通行していた(弁60号証・写真撮影報告書)。
本件自衛隊官舎の敷地は、金網フェンスが設置はされているものの、門扉等の設備がなく、自由に敷地内に出入りできる構造となっているので、囲繞地ではなく、住居侵入罪の住居には該当しない。
(3) 集合住宅の敷地に関する最高裁判例は存在しないが、最高裁昭和32年4月4日 判決(刑集11巻4号1327頁)は、集合住宅の敷地と類似した石垣・煉瓦塀で囲まれた一般民家とは区画された社宅20数戸がある区域内に立ち入った事案について、同社宅の北東側、北西側及び南側に3個の門にはいずれも木製観音開戸がついており、責任者が看守していて毎晩午後10時過ぎにはその責任者が内側からかんぬきをして門を閉めることになっている社宅街構内について、「社宅20数戸を含む一の邸宅」と邸宅侵入罪として認定した原判決を是認している。
また、正面門扉が閉まった午後10時以降に正面門扉を開けて寺院敷地内に立ち入った事案について、福岡高等裁判所昭和57年12月16日判決(判例タイムズ494号140頁)は、敷地内には住職らの居宅及び本堂等を含む建物が存し、周囲は付近の建造物やブロック塀等によって遮断されており、右敷地に立ち入ることのできる箇所は正門及び居宅裏口の2カ所にすぎない寺院敷地は、寺院の住居である建造物の囲繞地で、寺院の住居の一部と解すべきとして住居侵入罪の成立を認めている。
上記判例や裁判例からしても、8カ所の出入口には門扉等もなく外部からの出入   りが自由におこなわれており、昼間はその敷地内を児童・生徒らが通学路などとして自由に通行している本件自衛隊官舎敷地は、囲繞地として住居の一部と解することはできない。 したがって、本件自衛隊官舎敷地は、住居侵入罪の構成要件である「住居」には該当しないので、そこに被告人らが立入った行為について住居侵入罪の成立を問うことはできない。

 
自衛隊官舎の敷地は囲繞地ではなく「住居」には該当しないとの主張は、東京高裁の1993年(平成五年)7月7日判決(判例時報1484号140項)の
 

建物に接してその周辺に存在し、かつ、管理者が外部との境界に門塀等の囲障を設置することにより、建物の附属地として、建物利用のために供されるものであることが明示されれば足りる。

 
との建造物侵入罪の成立要件を踏まえたものと思われます。*2
「建造物」や「住居」という刑法上の言葉が「通路」を含んでいるとの解釈は、それ自体ですでに「建造物」や「住居」という一般的な語彙の理解を超えていると思います。
集合住宅に住んでいる人に「あなたのは住居は?」と質問されたら、大抵の人は自分が睡眠をとったり食事をする「日常生活をしている空間」「居室」を指すでしょう。通路や敷地を指さして「住居」を説明する人は普通いません。通路や敷地でわざわざ野宿をするのは、犬や泥酔者以外、通常は考えられない。
そして、そもそも通路を「住居」とか「建造物」と解釈しなればならない実質的な理由があるのかという点についても、「士気が下がる」とか「不安を感じる」といったヘンテコな理由が、誰にでも通用する一般的な理由とは考えられず、疑問は拭えません。「士気が下がる」「政治ビラ不安を感じる」といった理由は外部からビラ配布に訪問する人の問題ではなく、そう感じる側の問題です。
ドアポストにビラを投函いる人がいたら不安を感じますか? 私は感じません。もし手榴弾が投函されるかもしれない? 伝染病入りの封筒が投函されるかもしれない? そういった不安は、なにか心の病気を抱えている人であって、一般の人はそうは考えないでしょう。ビラの内容を見て深いに感じる場合はあり得るだろうなとは思いますが、投函行為それ自体が不安だというのは一般的な理解から外れていると思います。
大審院1932年(昭和7年)4月21日判決(刑集11巻407頁)では、社宅の囲繞地(いぎょうち)への侵入は「邸宅」への侵入ではないとして住居侵入罪の適用を否定し、刑法の住居侵入罪ではなく当時の警察犯処罰令2条25号を適用しました。
当時の警察犯処罰令はこうです。
 

警察犯処罰令1908(明治41)年9月29日(内務省令第16号)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/keisatuhannsyobaturei.htm

第2条
左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ30日未満ノ拘留又ハ20円未満ノ科料ニ処ス
25 出入ヲ禁止シタル場所ニ濫ニ出入シタル者

 
この警察犯処罰令は、戦後民主化の過程で軽犯罪法の施行によって廃止された法令です。
そして現在の軽犯罪法では、以下のような規定に変っています。
 

軽犯罪法(昭和二十三年五月一日法律第三十九号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO039.html

第一条  左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
三  正当な理由がなくて合かぎ、のみ、ガラス切りその他他人の邸宅又は建物に侵入するのに使用されるような器具を隠して携帯していた者
三十二  入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなくて入つた者

 
どういうことかというと、誰も生活していないということが誰の目からも明らかな「邸宅」に忍びこむ理由は、通常は窃盗などの犯罪に限られます。だから、誰も生活していない邸宅の外の敷地に入ることに対しては住居侵入と想定して罰することができます。
しかし、逆に、人が実際に生活している「住居」では、善意の第三者が第三者自身の目的で訪問し、あるいは配達し、あるいは投函するなど第三者の意思による敷地の通過は想定されます。そしてその訪問を禁じなればならない理由は、通常は考えらません。(もし訪問自体を禁じるなら門を施錠する等の措置を講ずるでしょう。そしてそうした行為は刑法で言う「看守」にあてはまります)
住んでいるとの前提でなされるビラ配りが、まして犯罪目的のない善意の投函者がどんな場合でも必然的に犯罪に到るとは考えられません。郵便配達のおじさん、牛乳はいたつのお姉さんがその仕事のために敷地に入ったという事実だけで必然的に犯罪に到るとみなされ住居侵入罪に問われたら社会は成立しません。まして、市民社会における政治運動、強いては民主主義社会における言論活動は。
現実に生活しているということが明らかな「住居」の場合、訪問客が任意の目的で訪問するために移動したり、あるいは郵便を配達したり、配達物を届けたり、訪問販売をしたりなど、住人の意思に関係無く敷地内で正当な移動と認められ得る移動行為は当然に発生し得ます。繰り返しますが生活している住人の意思は関係なく、です。
だから、生活している空間の外の敷地や通路に住民以外の入ったからといって、それのみを理由にして直ちに住居侵害と認めて処罰するのはおかしいわけです。
戦前の裁判所は、どんな理由があろうとも外形的形式的に「出入ヲ禁止シタル場所ニ濫ニ出入シタル者」を処罰できるオールマイティの治安立法=警察犯処罰令で罰するせざるを得ず、法の住居侵入罪では裁けなかった。
つまり、オールマイティの治安立法=警察犯処罰令が存在しない限り、訪問や配達など一般に正当な理由があっても入ることを禁じた場所に入っただけでは、処罰はできない。百歩譲って可罰性を問えるとしても、刑法の住居侵入ではなく、軽犯罪法の是非を検察も裁判所も考えなければならせなかったと思います。
逆に言えば、ビラ配布に対して刑法の住居侵入罪を適用したことは、暗黒時代のオールマイティな治安立法=警察犯処罰令第2条を現代に蘇らせたに等しい。
出入りを禁止した場所にみだりに出入りした者に対して無条件で拘留又は科料に処せられることは、戦前の治安立法である警察犯処罰令が戦後民主化の過程で廃止された以上できません。

以上の立法経緯や法解釈をふまえると、窃盗目的など明らかに犯罪目的であるような場合を除いては、面会や配達を目的として通路などはの共有スペースに立入りる行為は正当の行為であって、「住居」への侵入とは考えることはできません。
「住居」はやはり、住民が実質的に生活している場所に限定されると考えるべきで、訪問や配達がたとえ外部からの一方的行為であったとしても、犯罪の前提となるような接触の拒絶は最初の接触後に決定されるべきであって、接触前に決定されるべきではありません。
 
小倉秀夫氏は
 

http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/bb5bd26b38c4f08835bef85210c58ede

もちろん、集合住宅においては、居住者は他の居住者に邪魔されることなく積極的に自室に客人等を招き入れる権利があり、その権利を実現するためには、当該客人等が当該自室に到達するのに必要な範囲内で階段・廊下等の共有スペースに立ち入ることを承諾する権限があるとはいえるとおもいますが、非居住者の政治ビラ配り目的の階段・廊下部分への立ち入りに関し、現在する居住者の一人が立ち入りを承諾しない旨の意思を明示的に表示した場合に、他の居住者の意思が不明であるから不法住居侵入には当たらないというのも無理があるように思います。

 
と議論し、自室に客人等を招き入れる権利の観点(平穏という第三者からみて客観的状況である「生活の平穏」ではなく「権利」としている点に留意)で、現在する居住者の一人が立ち入りを承諾しない旨の意思を明示的に表示した場合に不法住居侵入に当たると主張しているわけですが、この議論も、結局のところ「意思侵害説」を前提にした議論であって、「無理がある」と私は思います。理由は前述した通り。
「他の居住者の意思が不明であるから不法住居侵入には当たらないというのも無理がある」という主張も理解に苦しみます。「意思」によって有罪か無罪かが決まるのであれば(そもそもそういう考え方がおかしいのですが)、それが不明なら不法住居侵入には当たらないと反論するのは当たり前でしょう。
大事なことは、集合住宅一人だけ住んでいるのではなく、いろんな思想信条や政治的見解を持つさまざまな人が住んでいるということであり、一部の住人の意思表示があったからといった、直ちにその住人以外の住人の意思が表明されたとは考えられないということです。
日本の集合住宅では、たとえば大きな所では、ワンフロアに平均6世帯から9世帯、一家族に平均3人がいるとして、30階建て40階建ての高層マンションなんかもあるわけですよ。40階建てだったらまあ少なく見積もっても500人以上は住んでいるわけですが、そんなところで居住者の一人が立ち入りを承諾しない旨の意思を明示的に表示した場合に他の居住者の意思が不明であるから不法住居侵入に当たる」という判断を出したらどうなりますか。
たとえば、500人以上住んでいる高層マンションで、創価学会会員の住人がたった一人で「共産党員の主張を含む赤旗及び類似ビラは当マンション内共用スペースに持ち込みどこの住居者にも投函するべからず」なるビラを貼ったら、あるいは逆に共産党員の住人がたった一人で「自民党のビラを配るなる配ったら住居侵入で告発する」と言い出したらどうなりますか。住居侵入で逮捕して刑務所に入れるんですか。そんな理屈こそ常識的に考えて「ナンセンス」であろうと私には感じられます。
いや、そんな極限事例を持ち出さずとも、仮に二世帯の集合住宅であっったとしても、価値の多様性を尊重しあう民主主義社会を理解している一般の社会人であるなら「意見の相違」を「刑罰の有無の相違」へと一気に解釈を跳躍することに不自然さを感じずにはいられないでしょう。
小倉秀夫氏は「無理がある」という言葉がお好きなようで何度も使われているようですけれど、最高裁判例に向って「無理がある」と言っているのではなく、民衆に向って特定の判断を背負って「無理がある」と言っているのではないか。その結果として、その論理全体に破綻をきたしているので、民衆に対して「無理がある」と小倉秀夫氏は説明を繰り返しているのではないか。私にはそう感じられます。
以上の理由から、当該事件の被告人を有罪とする小倉秀夫氏の判断は当らないと私は考えています。
尚、一審判決は、「住居侵入」か否かという論点をめぐっては、一審は「住居侵入」だと判断しているわけですが、裁判所の無罪判決の理由はそこに論点があるのではなくて、罰するほどの「住居侵入」なのかどうかが論点だったわけで、罰するほどの「住居侵入」とはいえないというのが裁判所の判決でした。
私が「判決主文」について支持を表明したのはそういう理由からです。
一審は、法益侵害は存在するとの前提のもとで、保全利益、つまり言論の自由や政治活動の自由などの市民的自由権との衡量により軽微な違法性しか残らない場合には可罰的違法性が無いとの判断であろうと思われます。これは佐伯千仭氏の『刑法における違法性の理論』*3の学説の考え方に近い考え方かもしれません。
 
小倉秀夫氏は、立川事件とは別件の都議会報告を投函した行為が住居侵入罪に問われた類似事件についてもウェブログでコメントし、
 

http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/16d0f8be80ceaaa2f5f085272edcd3d2

政治ビラの配布という名目で他人のマンションの廊下を縦横無尽に歩き回る権利を検察が政治団体に認めたこととなり、政治団体のそのような行動に不安や憤りを感じている多くの住民を失望させることになるからです。

 
などと「意思侵害説」を前提にした法解釈を展開しているわけですが、語るに落ちるとはこのことで、「政治団体の投函活動に不安や憤りを感じている」ことを理由に犯罪が成立するならば、もはや思想犯取締りまであと一歩といったところでしょう。
「政治ビラの配布という名目で他人のマンションの廊下を縦横無尽に歩き回る権利を検察が政治団体に認め」ることはいったい何の法益侵害を想定しているのか不明です。そんなことを想定して「住居侵入」罪が制定されたとでも考えているのでしょうか。政治的見解の相違ですらない「都議会の報告」の投函(をしているのは共産党だけではなく公明党員なども同様なのですが)を含む見解の相違をつきつけられることが法益侵害だとでも言うのでしょうか。だとすれば「市民的自由」というものの本質について、何の理解もしていないということになるのではないでしょうか。
まあそれ以前に「政治団体のそのような行動に不安や憤りを感じている多くの住民」とはいったい誰なのかということがそもそも疑問で、一般の住民が「ガラは確保した! 警備を呼べ! PCで来い!」とまるで警察の警備部の職員のように警察関係にすぐに携帯電話で連絡するものなのかどうなのか。ビラ投函を発見したら「ガラは確保した! 警備を呼べ! PCで来い!」と連絡するような日常を小倉秀夫氏が送っているのかは私は知りませんか、いずれにせよそうした住民を一般的なものとして考えることは極めて疑問です。
また、「他人のマンション」を管理しているのは一部の住民ではなく管理組合やマンションの所有者であって、たとえば管理組合がオートロックで住人以外の人が日常的に入れないような場合は法律上の「看守」と考えられるのでオートロックを乗り越えてドアポストに投函すれば理屈の上では違法性は発生し得るかもしれませんが、立川事件も都議会報告ビラ事件もそんな事実は無かったわけです。
民主主義社会においてさまざまな政治的見解を持つさまざまな政治団体が政治活動を行うことはあたりまえのことで、まして都議会報告の投函に「不安や憤り」を持つ人とはいったいどういう人なのか。考えれば考えるほど、都議会報告の投函に「不安や憤り」を持つという人自身に何らかの問題があると感じるのは私だけではないでしょう。
刑罰は罪刑法定主義のもと、明示された具体的な要件と手続きによって為されるべきであって、法文に明示されておらず規範性も無い「住民の不安や憤り」なる不確定的内心の抽象的規範によって刑罰は為されるべきではありません。
「住民の不安や憤り」とは何か。それが具体的に法律によって行為規範となってはじめて刑罰は可能であって、「住民の不安や憤り」を司法関係者が立法者に優先して勝手に確定することは司法権の限界を超える解釈であり認められないと考えられます。
つまり、司法の問題ではなく、立法の問題で、もし「共産党の文書は住民に不安や憤りを与えるから罰すべきだ」という主張をお持ちであるなら、法律で「共産党の文書は住民に不安や憤りを与えるから罰する」と法律に書いて国会で制定した上で罰すべきです。しかしその妥当性は別途検討すべきで、少なくとも私には大日本帝国憲法第二十九条*4の「留保付き基本的人権」のもとでの「臣民の言論の自由」「臣民の政治活動の自由」とかわりないように思われます。
言うまでなく私たちの民主主義社会は、意見の相違や思想信条の相違をお互いに容認するとの前提で成立し、思想信条の異なる人が隣人として生活することをお互いに容認して生活しています。小倉秀夫氏はそうではないのかもしれませんが、私は一般の通常の住人は思想信条や意見の相違を互いに容認しあうことを前提とした社会を強く望んで生活していると判断しています。
それはマンションの「共用スペース」でも同じことで、刑法はあくまでも「住居」の侵入に限定され、「住居」の定義には集合住宅における開放的な「共用スペース」は含まれ得ないことは前述した通りです。
「共用スペース」で意見の相違を理由にした正当な侵入を排斥するためには、その合理的理由を前提とした「共用スペース侵入罪」のような立法とその法的手続きが必要ですが、そんな立法の合理的理由は考えられませんし、刑法を含めて存在しません。また、憲法基本的人権の解釈からもそのような立法は将来に渡って成立すべきではないということは、立川反戦ビラ一審判決における諸社説で示される世論*5を例示するまでもないことだと私は判断します。
 
この話題の関連ログこちら。
 

立川反戦ビラ事件一審判決:良心の囚人に無罪判決(その2)
http://d.hatena.ne.jp/kitano/20041219
立川反戦ビラ事件一審判決:良心の囚人に無罪判決、ビラ配布に可罰的違法性無し
http://d.hatena.ne.jp/kitano/20041218
立川反戦ビラ事件一審判決:良心の囚人に無罪判決(その3)
http://d.hatena.ne.jp/kitano/20041223

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■追補(2005.1.27)
 
立川反戦ビラ事件の本が出版されました。
 

街から反戦の声が消えるとき 〈立川反戦ビラ入れ弾圧事件〉
宗像充著
街から反戦の声が消えるとき―立川反戦ビラ入れ弾圧事件
http://d.hatena.ne.jp/asin/4434057529
http://www.jade.dti.ne.jp/~jushin/book/syakai/machikara-hannsennnokoe.html

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*1:通常ではない例外として、アイヌ民族の一部の慣習を例示できます。かつてアイヌ民族の一部の部族では、たずねてきた人は誰でもとりあえず家に迎え入れるという民族的慣習がかつてはあって、その「鍵」や「錠」という概念を指すアイヌ語がかつては無かったという説があります。また厳密に言えば日本語の「住居」「家」を指すされるアイヌ語の「チセ」は、日本語の「住居」「家」の概念とは若干違うようです。アイヌ的価値観を個人として選択することは個人の価値観の選択の自由としては成立するとは思いますが、公共の概念においてそういう一部の民族的慣習なり個人的思想信条を日本国全体としてすべての国民に適用することができないことは言うまでもありません。

*2:この判断については、さらに遡った判例(最大判昭和25.9.27刑集4巻9号1783頁)もあるようです。

*3:佐伯千仭立命館大学名誉教授。「刑法における違法性の理論」http://d.hatena.ne.jp/asin/4641040281 他に「刑事法と人権感覚―ひとつの回顧と展望」http://d.hatena.ne.jp/asin/4589018020 、「刑廃止を求める」http://d.hatena.ne.jp/asin/4535001227 など。私とは考え方が違いますが、これはこれでひとつの考え方だと思います。

*4:大日本帝国憲法第二十九条 「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」 http://constitution.at.infoseek.co.jp/shinminkenrigimu.htm

*5: http://d.hatena.ne.jp/kitano/20041218#p1http://d.hatena.ne.jp/kitano/20041223#p1