青少年健全育成:「因果はなくとも取り締まれ」はメディアリテラシーなのか?

結論からいうと、それは為政者の為政者による(為政者とその支持者のための)利己的なメディアリテラシーではあり得ても、「真のメディアリテラシー」ではないと思います。

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2004年4月号(通巻第18号) 2004年4月1日発行
〈信ずる〉ってなに? 北田暁大*1 「『メディアを疑うこと』を疑うこと 」
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しかし、「実証主義にはおさまらない批判的視点」というのは、必ずしも「反権力」の側にある人だけが強調するものではない。そこが「面倒」と言った点だ。
たとえば、東京都青少年条例の改正を促す「子どもを犯罪に巻き込まないための方策を提言する会」(竹花豊副知事の私的諮問機関、前田雅英座長)が、昨年10月3日に発表した緊急提言−「不健全」図書の包括指定制度の導入が盛り込まれている−の諮問を受けた、青少年問題協議会*2の専門委員部会長加藤諦三氏(早稲田大学教授)は、次のような驚くべき発言をしている。

「諮問されているのは、条例の実効性を高める方途についてである。不健全図書が、青少年の健全育成に有害である、これは社会共通の認識になっているわけだが、その因果関係の厳密な科学的証明が諮問されているわけではないので、そこに議論が入ると、現実的に諮問に答えられないということが出てくる。」
(長岡義幸*3「東京都条例改定で強まる出版規制」『創』2004年4月号*4より引用)

また、この専門委員の副部会長に抜擢された前田雅英氏にいたっては、「わいせつな文章が増えたから強制わいせつが何件増えたとか、強姦が何件増えたという議論はあまり意味がない」とまで言い切っている。
エロ漫画をめぐる松文館コミック裁判で、社会学者の宮台真司氏は「性表現と性行動 とのあいだに因果関係がある、と立証されたことはない」という、社会学者、メディア研究者にとっては常識に属する知見を意見陳述*5したが、判決*6にそれが反映されることはなかった。青少年問題協議会の専門委員には、宮台氏とともに被告側証人として松文館裁判にもコミットした斎藤環氏(精神科医)の名もある。*7加藤氏、前田氏の「因果論排除」論は、こうした社会科学的知見にもとづく反規制論をあらかじめ牽制するものであったと考えられよう。「因果関係はないかもしれないが、とにかく有害であるとの国民的コンセンサスは得られるのだから、規制に向かって議論を深めていくべき」というわけだ。*8
たしかにポルノグラフィックなマンガや雑誌が私たちの日常世界を覆いつくしている状況に対しては、多くの人が眉をひそめている。「因果はなくとも取り締まれ」という主張は、案外多くの人びとの賛同を得られるものなのかもしれない。*9
こうした加藤氏や前田氏のような立場取りは、形式的にはメディア・リテラシー論の基本的姿勢、つまり、「因果の実証ではなく、意味の政治学を分析せよ」という理論的立場と一部折り重なっている。

みなさんはどう思いますか?
私は、メディアを疑うことは悪ではない、と思います。
だから、例えば、加藤諦三シェンシェイや前田雅英シェンシェイがエロ漫画を含めた性表現メディアを疑い、彼らなりのメディアリテラシーを持つことは自由だし、結構なことです。
ただ、問題はその後です。
加藤諦三シェンシェイや前田雅英シェンシェイがメディアを疑うことは悪ではないと思いますが、疑い方や疑う基準を制度ですべての人に強制したり、自分以外の他者に対して疑った結果を強制することは、私は悪だと思います。
何を疑うか、なにを基準に疑うかは、ひとりひとりの心の中にある価値基準が決定し、そう決定した自分自身に対して適用すべきであって、自分の心の外にある規範=法制度によってメディアの評価を決定したり、第三者に対してメディアの評価を適用することが“メディアリテラシー”ではない。
自律なき懐疑は、本当の懐疑ではあり得ません。ならば、自律的ではないメディアリテラシーは、真のメディアリテラシーではないはずだ。
ひとりひとりの心の中にある価値基準で判断し、自分の行動を自分で自制するという前提こそが、「メディアを疑う」ことを善とするのだと思いますし、「「「「メディアを疑う」を疑う」を疑う」を疑う・・・」という具合に、合理的懐疑を思考のフラクタルとすることが、真のメディア・リテラシーを育てるような気がします。
というような意味で、

疑うことに自足するメディア・リテラシー論は、さまざまな狡知でもって罠をしかけてくる権力に足元をすくわれかねない。「メディアを疑うこと」をも疑う位相においてはじめて、真のメディア・リテラシーが立ち上がってくる。

という北田さんの見解には同感です。
そしてもうひとつ大事なことは、「“在るメディア”を疑うこと」の次のフェーズとして、メディアを疑う自らが(たとえばウェブログなどによる情報発信などによって)メディアそのものとなることで、マスメディアの中にいるプロのメディア関係者だけではなくメディアに参加する個人が「“在るべきメディア”」を創っていくということ。
マスメディアに対するメディアリテラシーから、パーソナルメディアにおけるメディアスキルへと、メディアとつきあいかたのフェーズを一歩進めるということ。
そういうフェーズに移行した社会がつくられ、“万人がメディアの当事者”になれば、「因果はなくとも取り締まれ」などという議論は、社会の中で相手にされなくなるぐらい存在意義を失うことになるだろうと思います。

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関連ログ。

■北の系
http://zirr.hp.infoseek.co.jp/
資料/東京都青少年健全育成条例改正問題(目次)
http://zirr.hp.infoseek.co.jp/020338.html#20

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*1:北田暁大 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/2948/http://d.hatena.ne.jp/gyodaikt/

*2:第25期東京都青少年問題協議会総会(第3回)の写真 http://hasetubura.boo.jp/aokan.html

*3:代謄写http://independent.cocolog-nifty.com/freelance/

*4:『創』 http://www.tsukuru.co.jp/http://www.tsukuru.co.jp/gekkan/gekkan04.html

*5: Message from ミヤダイ 2003年5月3日 http://www.miyadai.com/message/?msg_date=20030502 「結論を言えば、性的メディアが青少年に「悪影響」を及ぼすと結論づけうる実証データはなく、逆に「飽和」をめぐる前述の調査データや各国の趨勢を見ると、性的メディアが「代理満足」を与えるがゆえに現実の性行動が抑制される可能性に注目するべきである。」

*6:松文館裁判判決 http://picnic.to/%7Eami/news/etc/040122hanketsu.txt 公判についての情報はこちら http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/9018/shoubun-index.html

*7:松文館裁判第7回公判の斎藤環氏に対する証人尋問 http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/9018/shoubun0701-01.htmlhttp://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/9018/shoubun0701-02.htmlhttp://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/9018/shoubun0701-03.htmlhttp://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/9018/shoubun0701-04.html

*8:前田氏の「因果論排除」論は、つきつめると、表現の自由をめぐる違憲立法訴訟における最高裁判所憲法判断に、諸悪の根源があると思われます。第25期東京都青少年問題協議会第2回専門部会(後期)平成15年11月4日(火)参照 http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/index9files/25ki/25bk2giji.pdf高島都民協働部長 ただいまのご質問の件でございますけれども、引き続き探してみたいと思いますが、私どもが承知している限りでは、有害情報の氾濫と青少年の性犯罪の増加について、その因果関係について、学術的に研究し、実証したものはないのではなかろうかというふうに思っております。ただ、このことにつきましては、いわゆる司法の場で何度か議論になっておりまして、これにつきましては、岐阜県の条例をめぐりまして最高裁のほうで判決が出ております。これにつきましては、今、先生からお話がありました憲法上の問題から論点が始まっていったわけですが、具体的に、青少年に対する有害情報の規制が実効的に青少年の犯罪防止につながっているか。裏返せば、青少年の性犯罪の防止に有害情報の規制が有効であるかどうかということが論点になりましたけれども、最高裁のほうの一般的認識としましては、これはたしか「社会通念上」という書き方になっていたと思いますけれども、こういう一般的な情報の氾濫が青少年に対して有害な面を持ち合わせているというような、いわゆる法的な、これは常識的と言っていいのかもしれませんけれども、最高裁の判断が出ているものはございます。・・・・ 前田(雅)副部会長 今のご説明のとおりで、法律の世界で言えば、やはりそれはまずいというのが最高裁の判断ですけれども、要するに、非常に小さく絞って、猥せつな文章が増えたから強制猥せつが何件増えたとか、強姦が何件増えたという議論は余り意味がないと思うのです。やはり小さいころからそういう性情報を、さっき鹿倉会長からご指摘があったように、いずれの段階かでみんなそういうことを知りながら大人になっていくわけですが、目に見える形で店頭や何かでとか、自動販売機でも、学校のそばに置いてあるのはまずいじゃないかというのが国民のコンセンサスに近いと思うのです。」

*9: 「ポルノグラフィックなマンガや雑誌が私たちの日常世界を覆いつくしている状況」に対する疑いにも二種類あります。ひとつは北田氏が指摘するように眉をひそめて因果はなくとも取り締まれと主張するマジョリティの疑問。もうひとつはマンガによるポルノグラフィックな表現ぐらいしか表現の世界で自由になることがないと思えるほどに現実の社会の言論表現環境は息苦しいのだというマイノリティの疑問。