アメリカ大統領選挙:戦争の終らせ方

以前から注目していた田中良太四街道市議が発行しているメールマガジン「地域からの発信」に、アメリカ大統領選挙の結果についての論評が載っています。

■田中良太四街道市
「地域からの発信」
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000024557
第24号(11月5日)戦争を止めることの難しさ
http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200411072210000000024557000
http://www.simin-ykd.com/has23.htm

問題はメディアの姿勢にあるのかもしれない。今回大統領選では、多くのメディアが投票直前の段階で「ケリー勝利」を予測した。その予測は見事に外れたわけだが、問題はその予測の「質」にあるのではなかろうか。
ベトナム戦争のときのように、「米国の汚い戦争」を批判する論調を展開することはできない。そのかわりに、「ケリー勝利」という希望的観測を流した……。
これは単なる推測にとどまるのだが、実態はそのとおりであったような気がしてならない。
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ほんらい米国のメディアは、ブッシュを「汚い戦争」の最高指揮官だと告発すべきだったのである。戦争目的が遠いアジアの赤化防止ではなく、どこにでも起こりうるテロ防止とされたこともあるだろう。またベトナム反戦運動による国内の亀裂によって、米国全体が沈滞の時代を迎えてしまったことも影響しているだろう。
いずれにせよ、米メディアの世界で、発言力の強い人たちは、ブッシュの汚い戦争に真っ向から対決しようという勇気を持てなかった。そしてケリー勝利という希望的観測によって、自己満足することにとどまった。その結果、米国政治の主役である「世論」は、ベトナム戦争の時のダイナミズムを失ってしまったのである。
戦争を終わらせるのは、本当に難しい。とくに米国のような、負けた経験の少ない国にとっては、「敗戦」を率直に認めることは至難の業と言える。
同じことは日本についても言える。
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東京大空襲の人的・物的被害は米軍の予想を上回るものであっただろうが、その政治的効果はほとんど皆無に近かった。4月1日米軍が沖縄本島に上陸し、ようやく小磯首相が退陣した。鈴木貫太郎(海軍大将)内閣が同月7日成立したのだが、5月7日のドイツ無条件降伏でも何も動かず、6月8日には天皇臨席の最高戦争指導会議で「本土決戦」方針を決めた。
6月23日には沖縄守備軍が全滅。沖縄地上戦の戦死者は軍人、民間人併せて19万人とされている。6月下旬以降は、マリアナ基地、硫黄島、沖縄などからの米軍爆撃機がひっきりなしに飛来し、地方中小都市や鉄道網を襲った。それでも当時の政府は「終戦」を決断できなかったのである。
そして8月、広島、長崎の被爆である。じつはポツダム宣言の受諾に踏み切らせたのは広島、長崎の惨劇ではない。8月8日のソ連の宣戦布告だったのである。翌9日の御前会議で「国体護持」を条件にポツダム宣言を受諾することが決まった。
原爆がいくつ落ちても「国民の犠牲」であるだけである。それは東京大空襲でも、沖縄地上戦でも無視してきたものであり、いくら数が増えても敗戦の決断に結びつくものではなかった。ソ連の参戦によって「赤化の恐怖」が現実のものとなった。「国体護持」など言い出せない状況になりそうだ。だから敗戦を決断したというのが「終戦史」の通説である。
アメリカと並んで、日本もまた「戦争を止められない病弊」を持っている国だといえよう。その病弊を、戦後の日本が自己批判したとは言えない。日本の「平和運動」は、東京大空襲ヒロシマナガサキ被爆を、米軍の非人道的行為と非難するところから出発している。
東京大空襲をきっかけに、早期終戦に持っていったならば、沖縄地上戦も二度の被爆もなかった。「当時の日本の支配者をこそ糾弾しなければならない」というのが私の持論である。しかしこの主張は、日本人の同意を得ることが難しい。

 
「正しすぎる正義」は危険です。
なぜなら、戦争は常に正義と正義の戦いであり、「正しすぎる正義」は戦争を終わらせることができないからです。
オサマビンラーディンの歪んだイスラム原理主義イスラム社会にとって正し過ぎて危険であるように、「テロとの戦争」を戦う“安心安全原理主義”もまた正し過ぎて危険です。
大日本帝国の場合、政治を担う当時の権力者にとって「国体護持」は正しすぎる正義でした。連合国の場合は「悪の枢軸」「リメンバーハールハーバー」、イラクの場合はサダム独裁を前提にした「主権と独立」、ベトナム戦争の場合は「自国民保護と赤化阻止」、そして今のアメリカと日本は“安心安全原理主義”とも言える「テロとの戦争」。
なにかを絶対化し、その絶対の実現の手段として政治権力を用いること。宗教的絶対を政治権力と結びつけること。それが「やめられない正義の戦争」の根源でしょう。
1941年6月8日にヒロヒト天皇自ら本土決戦を決断し、その後もソ連参戦まで敗北を認めなかった結果としてヒロシマナガサキの核攻撃の犠牲者を出したとの田中良太氏認識には同感です。昭和天皇には開戦責任と同時に、犠牲者を出さないうちに戦争を終らせられなかったという意味での戦争責任がある。
戦争を終わらせるためには「正しすぎる正義」を政治権力から分離し、「正しすぎる正義」は人々の信仰の中で決着させ、行政権力や軍事権力は「国益の調整」に徹すること。
そのような権力システムを法秩序として作ること。それが戦争を終らせる英知ではないかと。

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