小沢一郎の小沢一郎的メディア表現規制論

小沢一郎メールマガジン Vol.029
http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200406131010000000033978000

夕刊フジ連載 「剛腕コラム」190回◇
「長崎小6女児殺害事件に衝撃」
長崎県佐世保市の小6女児同級生殺害事件は、テレビニュースで一報を知ったが本当に驚いた。
異常者が学校に侵入して犯罪に及ぶケースは時々あるが、今回は直前まで加害者と被害者が仲良しの友だち同士だったうえ、衝動的な犯行ではなく「殺してやる」と恨みに思って実行した点など、極めて特異だ。
小学生、それも女子児童が些細な理由で友だちを計画的に殺す。信じがたい恐ろしい事件であり、日本社会の病巣の深さを感じてしまう。
   ・・・「社会的規制は絶対必要」・・・
   ・・・「わいせつ、暴力的表現が野放し」・・・
先日、ある方からこんな話を聞いた。
「日本では、テレビでも週刊誌でもインターネットでも、子供がわいせつ・暴力的な表現を見たり読んだり、アクセスするのは極めて自由放任になっている。むしろ大人の方が規制が厳しい」と。
僕はこれは全くおかしいと思う。善悪の判断のつかない子供のうちは規制をすべきであり、大人は自己責任で自由にすべきだ。
日常的にわいせつ・暴力的な表現を見聞きすることで、子供の感覚がマヒしている。少年犯罪の凶悪化、低年齢化は、多分に大人の責任だと言わざるを得ない。
    ・・・「経済的規制とは違う」・・・
僕は規制撤廃論者だが、これは基本的に「経済的規制」についてだ。わいせつ・暴力的な表現への子供の接触を防ぐ「社会的規制」は断固としてやるべきだ。
今回の事件で露呈した日本社会のモラル喪失は極めて深刻だ。これは敗戦直後から3代続いているといっていい。
戦前の教育を受けた人々が敗戦によって価値観を否定され、自信喪失に陥り、新しい価値観を考える時間もなく大人になった。それが3代も続いているのだから、これを立て直すには何十年もかかるだろう。
確かに、権力で抑えつければ一時的には良くなるだろうが、戦前、世界最高のモラル(軍律)を誇った日本帝国陸海軍が、敗戦と同時にただの烏合の衆と化した。その事実を見れば分かる通り、強制されたモラルは本物ではない。心の問題は、自分で考え判断してつかみ取るしかないのだ。
現在、最も問題といえるのは、こうした日本社会を揺るがす事件を目の当たりにしながら、日本人の多くが他人事のように感じ、問題解決のための根本的な議論がなされていないことだ。
上は小泉首相をはじめとして、一般の国民に至るまで日本中に利己主義が蔓延し、「日本はこれでいいのか?」と思い悩む人が少なくなっている。国民的議論を盛り上げるべきメディアも商業主義に走っている。これでは今後、さらに信じがたい事件が続発するのは間違いない。
今まさに、わが国は亡国への道を突き進んでいる。

小沢氏は、前段で

長崎県佐世保市の小6女児同級生殺害事件は【中略】極めて特異

と事件の特異性を強調する一方で

今回の事件で露呈した日本社会のモラル喪失は極めて深刻だ。

と、日本社会のモラル喪失と関係があるとの前提で事件を一般化し、さらに

わいせつ・暴力的な表現への子供の接触を防ぐ「社会的規制」は断固としてやるべきだ

と、日本社会のモラル喪失があたかもわいせつ・暴力的な表現となにか関係があるかのような前提で結論を性急にショートカットしているあたりに、小沢一郎氏の自己矛盾、論理破綻が伺えます。
特異な事件なのか、それとも普通に起っている事件なのか。
今回の事件は日本社会のモラル喪失となにか因果関係があるのか。
日本社会のモラル喪失とわいせつ・暴力的な表現の間になにか因果関係があるのか。
そもそも、モラルとは単一なものであるのか? 単一なものである"べき"ものなのか?
まったく意味不明であり、疑問を感じざるを得ません。

おまえらそう思っているよな? オレと同じように思っていない奴はいないよな! な、な、そうだろ!?

的な豪腕さというか、短絡さというか、論理のショートカットに、小沢一郎らしさを感じます。
まあ小沢氏の論理が飛躍したメディア規制論は、自由党の党首だったときからの持論らしいので、いまさら驚くには値しないですが。

小沢一郎サイトからもリンクされていない旧自由党ホームページ(復活版)
http://210.158.217.170/
小沢一郎氏らの言論の変遷
http://210.158.217.170/JPN/policy/p_statement.html
小沢党首記者会見要旨 平成12年5月10日 午後12時30分党本部

◆ 連休中に少年犯罪が多発し、少年法改正案の取扱いについて議論が盛んだが。
少年法を改正しただけで、解決できる問題ではないと思う。社会全体の問題だと私はとらえている。子供は親の背を見て育つのだから、大人の責任が非常に大きい。何故、このような状況になったのか。一つは、戦前戦後を境にして、全く社会・国家そのものも、個人も、きれいな言葉で言えば価値観の多様化という言い方をするけれども、私から言えば価値観の喪失だということだ。価値観をそれぞれきちんと持っているということは、自我が確立しているということだから。自由党も、自立した個人、その集合体である自立した社会・国家を目標・理想に描きながらやっているわけで、よくも悪くも国家・社会としての一定の価値観、それに基づく個人個人の価値観があったかつての時代、それが一挙に崩壊してそれぞれが自立しないままにこういう社会に流れてきてしまった、というのが最大の原因であろう。子供の問題はすなわち大人の問題だと私は認識している。小さい時からの、若い時からの教育、と言うと学力だけになるが、しつけ、道義、道徳、常識、社会の中の一員としての自覚とか、そういう類いの社会生活をしていく上でのルールを身につけさせていくことが、家庭でも学校教育でもやられていない、というのが最大の問題点だと思う。そういうことに力を置いて、日本の社会全体を立て直さなければいけないと思う。

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