不作為の作為の合理性について

「不作為の合理的理由」については、大きく分類してふたつの考え方があります。

1 人道復興目的だから合理的だという目的的合理性論の考え方。
2 犯罪者と交渉すべきではないという非妥協ルールの合理性。

1は、目的が正しければいかなる手段も正しいというかつてファシストで流行した滅茶苦茶な理論で、常識的理性を持った学者は誰も相手にしませんが、アホ政治家やアホネットブロガーや腰巾着学者や腰巾着文化人だけが、酒に酔った酔っ払いのようにひとりで騒いで盛りあがっているという状態。

2の「非妥協ルール」は、テロリズムに対する姿勢として国際的にもイギリスのサッチャー政権以降大国を中心に確立されたルールと言われていて、4月11月のサンデープロジェクトに出演した佐々ナントカの政府関係者が、妥協しないことは正しいとしきりに言っていました。
しかし、非妥協ルールは、大国が小国や少数民族に対し、大国の理不尽な要求を飲ませる上であらかじめ非対称戦を封じるため、強者の弱者支配正当化の「法の道具」として長年使われてきたという事実が一方であります。
大国が軍事力を使ってマイノリティや小国を抑圧し、それに対してマイノリティや小国が抗議すると非妥協ルールを使って「交渉には応じない」と言い、交渉が決裂してマイノリティや小国が非対称戦をはじめると非妥協ルールを使って交渉決裂と暴力を非難する。
要するに、軍事的な絶対的優位を正当化する道具として非妥協ルールは使われているという実態のなかで、今回も、本来は正しい主張、と言っては語弊があるかもしれませんが日本として主体的に判断すべき主張を非妥協ルールで封じ込めるという構図がイラクファルージャで発生しているわけです。
こうした事件や大国の非妥協ルール適用は、世界中で起きているわけですよ。
全世界で発生している軍事大国の非軍事国に対する軍事的抑圧を正当化し、その大国の所業によって非軍事国から軍事組織が出現し、非対称戦が世界中で勃発し、非対称戦を背景とした政治交渉を遮断して軍事的優位による国際的地位を確保するために非妥協ルールで和平交渉などを封じ込める。
こういうある種の悪循環の現実を是認する効果にしかならないわけですよ、非妥協ルールを肯定してイラクにおける軍事占領を続行するということは。
それを「国際社会も認めたルールです」っていうのは、イラク攻撃は国際社会が認めたことですと言う屁理屈と同じぐらい屁理屈であって、米英日という軍事大国だけが「国際社会」とみなし、その軍事的優位性を肯定することにしかならないのではないかと思います
これは私だけの考えではなくて、国連でも非軍事小国が軍縮会議等で同様な発言を探せば出てくると思いますよ。
非妥協ルールを使う軍事大国だけが「国際社会」ではない。これだれははっきり言っておきます。
結論として、撤兵できてもしないという判断は、「不作為の作為の合理的理由」が存在せず、政治責任は問われるべきということです。