大量破壊兵器を使用した国とその犠牲者

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 (入館料無料)
http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/index.php

原爆死没者遺影募集ポスター

http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/notice/photographs.html

最高機密扱いだった軍属捕虜犠牲者ファイルの一部の機密指定が解除。
情報公開法により、合衆国の軍人が広島で死亡したことが公式文書で確認された。
これは、アメリカ合衆国によって無差別大量破壊兵器である原子爆弾の犠牲者にアメリカ人が含まれていた事実を、当事国の公文書が示していたことを意味する。

2004年01月04日 米兵捕虜:被爆、死亡者の遺影 初めて広島平和祈念館に登録
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200401/05/20040105k0000m040055000c.html

1945年8月6日の広島市への原爆投下で、旧日本軍の捕虜として被爆、死亡した米兵の遺影が4日、原爆死没者らの遺影を保存・公開する国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(同市中区)に登録された。同祈念館には3日までに8844人(外国人28人)の遺影が登録されているが、米兵は初めて。

'04/1/5 被爆死米兵の遺影を登録 追悼祈念館に親族持参
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn04010503.html

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

2004年1月30日、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館にアメリカ合衆国によって使用された原子爆弾の犠牲者となった米軍捕虜の遺影が展示された。


ジョン・ロング・ジュニア伍長(当時27歳)の遺影を見る入館者。


アメリカ人犠牲者を指差す平和祈念館の学芸員荒谷茂主幹。

「それは、虐殺がどれくらい無差別だったか示しています。敵も味方も、兵士も民間人も、女性も子供も、すべて殺されました」

広島ホームテレビ
『Jステーション』8.6平和スペシャ
http://www.home-tv.co.jp/co/press/20030711_1.html

●『キノコ雲の下にいたアメリカ人』 〜自国に殺されたアメリカ兵捕虜〜
捕虜となって閉じ込められたままで被爆したアメリカ兵がいる。
原爆投下の直前、米国は英情報部から「広島に米人捕虜がいる」と通告を受けていたがこれを無視した形で、投下は強行されたとも言われている。
自国の爆弾によって殺されたアメリカ兵士たち。
ワシントンの国立公文書館で「極秘」扱いを解かれた兵士らの「軍歴書」の中に、「ヒロシマで戦死」との記述を見つけ、米兵捕虜被爆死の事実を確認した。
とはいえ、軍歴書は、乗機を撃墜され捕虜になって広島で死んだ、としているだけで、それが原爆によるものであることにはまったく触れていない。
その遺族らも、被爆死どころか広島で死んだことすらも知らされておらず、日本上空で撃墜され戦死、あるいは戦傷死したものと信じていた。
政府が秘密にしていた理由については、米国民の大半が支持した原爆投下で、米兵が殺されていたとなれば、世論は批判にかわり、第2次大戦直後の冷戦激化の中での核戦略に重要な影響をもたらす、と懸念したからではないかとも考えられる。


原爆ドーム