開戦は外交の敗北

イラクにおける日本人死亡者にかぎらず、戦争で犠牲者が出ていることはひとりの人間として悲しいですし、「だから戦争じゃなく査察を継続していれば良かった」という気持ちは大きくなるばかりです。

テロだテロだテロテロテロとわめいている人が今の日本には少なからずいますが、テロじゃなくて「戦争」なんですよね、この攻撃は。
「テロだ」と言う言葉の裏には「戦争は終った。戦争に参加するのではなくて復興に貢献するのだ」という前提が含まれていますが、動機は復興かもしれないですれと、実態としてはやっぱり戦争への参加でしょう。

田中康夫長野県知事も言っているように、現代は「国対個人」の戦争です。
フセインがどこにいるのかわからなくなっても、戦争は終わりはしません。
戦場で人と人が殺しあって人が死ぬのはあたりまえです。
「戦闘終結宣言」だかなんだか知りませんが、そんなものがあってもなくても、今現在まさに日本国憲法が示すところの「国権の発動たる戦争」の戦争が起っていて、そこに日本が参加することは「国権の発動たる戦争」に参加するということです。

そして、派遣するしないの問題よりも議論しなければならないことは、戦争をはじめたことそれ自体が「外交の敗北」であり、「外交の失敗」だということです。
戦争せずに査察を継続していれば、あの二人はおそらく死ぬことは無かった。もちろんイラクの最大9700人の民間人犠牲者も。
「外交が敗北」し、戦争が起きたから、戦場で人が死んだんです、今回のように。