戦争に参加したイタリア

ネットで掲示板とか読んでいて気づくのですが、派遣することが国益に適うという主張の論理の破綻以前に、派遣したら結果としてどうなるかということを考えないで、ブッシュについていかなければダメだというように議論している人って、結構いるもんですねぇ。
ところで、イタリアの派兵。
あの事件から日本は学ぶべきことがあると思いますね、私は。

殺す人も殺す気のない人も殺される。殺されたくないから殺す。それが戦場というものでしょう。
イラク(に限らないと思いますが)が戦場であるということは、日本においては「イラク特措法」の派遣の前提が崩れているということですが、それ以前に政治家や外交官の「開戦支持の責任」についてもっと議論すべきでしょう。

イタリアでは死んだ兵士を英雄として称える儀式や表彰がテレビで流されていたりするようです。
死んだり、死ななくても指を無くしたたり、一生視力を失ったりするかもしれない場所に行くことが、英雄的な行為なんでしょうか?
どうなんですか、ここを読んでいるらしい自衛官の妻(夫でもいいですが)のSさん?
私はそうは思いません。私だったら、戦場に行こうとする家族を止めます。
真に英雄的な行為とは、主戦の同調圧力の下であっても、「戦争に参加することを最期まで拒否すること」ではないでしょうか。

自分の家族を悲しませたり苦しませたりしている奴、家族の英雄になれない奴が、国の英雄なんかになれるはずがない。そう思います。

───────────