松文館裁判控訴審:公判記録

 

松文館事件控訴審:ちばてつや証人が証言
http://d.hatena.ne.jp/kitano/20050221#p1

 
の続きです。

わいせつ罪に問われている「蜜室」は、全国どこの都道府県でも有害図書類指定を受けていないということはみなさんご存知でしょうか。
この話をすると「そうなの?」という反応が返ってきそうですが、「蜜室」は有害図書ではありません。
なぜか。
理由は、青少年健全育成条例の「有害図書類指定制度」は、読まれることを前提にして決定されるので、法律上いかなる人も読むことが許されない禁制品=わいせつ物は有害図書類として指定することができないからです。
ですから、もしどこかの地方自治体で「蜜室」に有害図書類指定を出したら、その地方自治体は警察や検察のわいせつ判断が誤りであることを認めたことになります。
という問題が発生し得るため、警察は、警察の判断と地方自治体の判断に矛盾が生じないよう、青少年担当部局と警察当局はわいせつ摘発に関して密接な圧力情報交換を行っており、「おまえらに警察の面子をつぶすようなことをするなよ。『蜜室』は有害指定するな。いうことをきかない奴がどうなるかはわかってるな」と地方自治体の青少年担当部局に恫喝と情報交換しています。司法の地方自治への中央集権的介入の一面と言えなくもありません。
と前置きしたうえで、本題。
ちばてつや証人の尋問の詳細が公開されています。
 

松文館裁判
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/9018/shoubun-index.html
松文館裁判控訴審 証人ちばてつや
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/9018/shoubun-kouso.html

弁護人: ちょっと「蜜室」の絵を見ていただきます。総ページ数で54ページ、「カーニバルカーニバル」という作品、ここで描かれている描写技術について先生はどのようにお感じになられますか?
証人:私はこういう絵を描いたことがないのですが、非常に難しい構図というか、相当デッサン力がないと描けないのではないかとおもいます。
弁護人: もともと人間が絡み合った姿勢を描くこと自体が相当難しいものなんでしょうか?
証人:そうですね。私はよくスポーツマンガを描きますんで、相撲のマンガを描いたことがありますが、お相撲さんが土俵の上で絡み合うというか四つに組んだりすると、ちょっとどっちかの手がデッサンが狂って長かったり短かったり、あるいは頭の位置がおかしかったりすると非常にぎこちなくなるんですね。そういう意味では非常に苦労したことを憶えています。
弁護人: デッサンの練習の歳に先輩から何か言われるというようなことがありませんでしたか?
証人:ああそうですね。昔の絵描きさんはそういわれたみたいですけども、私も漫画家になりたての頃は人の体がうまく描けないでいたときに、「春画を描きなさい」と、そういう男女の絡みを描くと腕が上がるよと言われたんで、私も描いた事があります。とても難しかったですね。
弁護人:先生ご自身が性に関する絵が描けなくて困ったとかいう職業上の体験をしたことがありますか?
証人:そうですね。あまりでてこないんですけども、事の成り行きで男女の心の高揚をずーっと描いていてですね、環境問題を扱った作品なんですけど、それには人間が出てきますから、それがだんだん愛情を感じて、ふと気持ちが高揚して自然にキスしていくマンガを描いた事があります。

 
漫画のキスシーンというと私には苦い思い出があって、小学生のころ、友達の女の子が漫画好きでノートにキスシーンを描いていて、それを見て「上手いナァ」と思って自分も真似して描いたら、がっぷり四つの相撲取りの絵みたいになって、自分でなんだコリャと思ったことがありました。
たしかに漫画の性表現はある程度の技術が無いと絵として面白くないわけで、そういう技術を見て楽しむ要素は漫画の性表現にあるだろうと思います。
創る技術も必用ですし、性表現を読むリテラシーも必要。
そういうリテラシーが無い検察官や裁判官がわけもわからずチンポ勃たせて「これはわいせつだ!」と感想を言うのは自由ですが、あんたのリテラシーの無さの結果を国民全員に押しつけてほしくないなというのが私の率直な感想です。
 

前掲

弁護人: いまの「と僕は思います」のなかで、17ページから19ページまでにかけて、明日のジョーの力石と矢吹ジョーのタイトルマッチのシーンが描かれていますね。
証人:はい。
弁護人: これは血が飛び散って残酷に見えるのですが、こういう残酷な絵を何のために描かれたんでしょうか?
検察官:あの、異議があります。残酷かどうかっていうのは…
弁護人: ああ、はいはい。なぜ血しぶきが飛んでいるような絵を描かれたんでしょうか?
証人:ええと、二人のなれ初めとか、それまでの二人の間にあるドラマだとか、そういったものの果てに、リングの中で戦うことになったのですけど、その戦うために、ものすごい練習をするわけですね。友情もあるし、いろんなところで人間のドラマを描いた揚げ句に、リングの上で戦うことになった、そうなると、ここまで描かないと二人の気持ちが表現できないだろうという風な気持ちから自然に、僕は。普段僕は絶対に血しぶきだとかはマンガには描くまいと決めてたんですけどね、この作品に関しては、半分大人になっている若者のドラマですから、必然的に、自然にこういうシーンを描いてしまった。ここだけ見ると非常に残酷ですけども、前から読んでくれると、こうなるのは解ってもらえると思います。

 
検察官の「異義あり」が、みみっちぃというかなんというか。
漫画は、ドキュメンタリー漫画は別にして、すべて虚構です。矢吹ジョーはいません。力石もいません。あんなキャラクターはいないし、あんなボクシングも無い。性表現も虚構。写真とは本質的に違う。
ドラマとして残酷表現なり性表現が存在している以上、検察官が法廷で「ここと、それとこのページと…」などとやっていたように、一部の表現だけを抜き出してわいせつ性を問うことは妥当ではないでしょう。
漫画はコマやページの一部の表現だけで評価されるべきものではありません。
 
漫画は基本的に記号表現ですので、映画などの映像表現と較べると、わりと簡単に、低コストで、現実には存在しない状況を描きやすいという特徴がありますね。
そういう漫画の特性の上に、“女性や子どもに人権が無い状況”とか“女性や子どもが奔放な性を具有している状況”のような非現実的な表現があるわけで、そういう「お約束」が性表現を含む漫画表現のバラエティさを支えてきたという側面もあるのではないでしょうか。
あんな幼女がブチこまれてあんなに愛液たらすわきゃねーだろ、というつっこみをいちいちしていたら、そういう設定でしかつくれないドラマの面白さは伝えられないのも事実。ファンタジーの世界で「そんな指輪があるわけがないだろう」「あんな英雄いるわけがないだろう」というつっこみを言ってはいけないお約束になっているように、性表現にも「お約束」があります。
その「お約束」を知らない無知な検察官や裁判官がチンポ勃たせて「これはわいせつだ」と訴えても、あー以下略。(笑)

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