世界を写す鏡を割れ? バトル・ロワイアル

いろんな人がいろんなコメントしていて面白いですね。ふぅ。

<小6同級生殺害>やなせさん「バトル・ロワイアルひどい」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040621-00002056-mai-soci

 幼児や小学生に人気の漫画「それいけ!アンパンマン」シリーズの原作者、やなせたかしさん(85)が20日、長崎県佐世保市を訪れ、小6同級生殺害事件で鑑定留置中の女児(11)が傾倒していた小説・映画「バトル・ロワイアル」について「(子どもにとって)ひどいものがある。殺し合いだ」と批判した。(毎日新聞

この事件はもうすこし様子を見てから考えましょう、というのが率直な感想。
バトル・ロワイアルひどい」と言っていますが、バトル・ロワイアルはひどい世界の現実を写す“鏡”、あるいはひどい人間の本性を写す“鏡”のようなものでしょう。ひどいのはあたりまえ。
問題は、鏡に映った人間の醜く残酷な本性の一面を見て、どう感じるか、どう行動するかということ。
たとえば、ものすごく醜い男が鏡の前にいて、鏡に醜い男が写っているとします。普通、「鏡は醜い」とは言いません。「鏡に写った男が醜い」と言います。
けれど、もし鏡に写った男が、鏡に映った「自分は醜い男である」という現実をどうしても受け入れられないとしたら、どうでしょう?
「オレは醜くない! オレは美しいんだ! 鏡に映ったオレは美しい! 醜くく写った鏡が間違っているのだ! 鏡が悪いのだ! 世界の鏡を破壊せよ!」と叫んで鏡を割るかもしれません。
子どもたちは、現実に適応しようと努力します。問題は、適応のし方。
現実を正確に写し出す鏡を見て「人間ってこんなに醜いんだ」と学習するか、それとも鏡を割って逃避し続けるか。いったいどちらがより現実に適応したことになるのでしょうか?
で、今回の佐世保の事件ですが、鏡を割って逃避し続けることの方がオトナっぽくてカッコイイという風潮の中で、ひどい世界の現実を直視し醜い人間性を克服しようと当初はマジメに考えていたらしい加害少女に対し、鏡を割って逃避し続けることの方がカッコイイと思っていたらしい被害少女がネットで罵り全否定し、その全否定を全否定する形で殺害に到った可能性がある、らしい。
「世界を写す鏡を破壊したい奴は破壊すればいいのさ。私は世界に直接向き合うことをやめはしない!」と言えるだけの強さが彼女の人格にあったなら事件は防げたのではないか、などという仮定の仮定も考えられますが、いまここで結論を書くつもりありません。
今はとにかく事実に直面し、事実確認に徹すべきかと。

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