良心ある大衆派裁判官が最高裁に左遷される

裁判官の独立は憲法で定められていますが、裁判官には守らなければならない義務がふたつだけあります。
それは法と良心。
両方とも守らない悪徳裁判官が激増する中、法も良心も守るある意味あたりまえの仕事をしている裁判官が最高裁から「おまえじゃま。あっちいけ」と命じられ、左遷されたそうです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040327-00000405-yom-soci

こういう人事によって、上ばかり見て下を見ない悪徳裁判官を増やし、公正な裁判が減ることになることは間違いないでしょう。
現に、公正な判断をした寺西和史判事を批判する小池勝雅裁判官のような最低な裁判官も出ています。
批判された寺西和史判事は、盗聴法問題が国会で大激論になっている時に令状発行について裁判所の現状について発言したとの理由で分限(=不当懲戒)を受けたことがある公正な裁判官でした。

判決で裁判官が同僚を批判 強制採尿の却下めぐり
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040326-00000254-kyodo-soci

小池勝雅裁判官のような最低な裁判官をのさばらせておくことによって社会の公正の実現が阻められ、結局苦しむのは一般の国民です。
一義的には人事を仕切っている最高裁の責任、最高裁人事を仕切ってきた内閣の責任ですが、最終的には最高裁判事国民審査による罷免をせず、最高裁人事をし切ってきた内閣を政権交替させないできた国民自身の責任。
もう何度も口が酸っぱくなるほど言ってきたことですが、全ての悪は国民自身の政治的怠惰に帰結しているのです。
国民自身が政権交替によって最高裁の人事を刷新しない限り、問題は永久に解決しないでしょう。
それができないなら不正義の蔓延という不利益によって責任をとらなければなりません。そして、それに納得できない国民の中から「悪徳裁判官は死んでもらうしかない」と考える人が出てくることは避けられないと私は想像します。

───────────