不断の努力によって
自由と権利の本質について考える基本情報。
公権力に対する「自由と権利」は「在る」ものではなく、努力して「獲得する」ものです。
自由と権利を喩えるなら、自転車のようなものです。
努力してペダルを踏めば自転車は倒れず平和と繁栄に向って前身しますが、なにもしなればいずれ自転車は止まって倒れます。
憲法は、法や公権力を拘束するためのルールです。
公権力は常に権力の絶対性を求め、憲法を無効化しようとしますから、そうならないように国民自身が憲法の「精神」を、努力して護らなればなりません。
自由と権利を努力して獲得することが本当の意味での護憲であって、日本国憲法の条文を改正させないとか改正させるというような議論は、護憲や改憲の本質的な議論ではありません。
公権力を拘束し自由と権利を護るためのすべての努力が護憲であり、公権力を絶対視し自由と権利を制限することが改憲なのです。
故に、憲法条文を改正するという合法的手続きを踏まずに、侵略地に軍隊を派遣し武力によって任務を維持する国憲たる戦争の発動を「人道支援」などと呼ぶような憲法解釈は、改憲と呼ぶべきです。
自由と権利の獲得に努力しない怠惰な国民から自由と権利が奪われ、消えてなくなっていくことは、理の必然でしょう。