「包括指定」という言葉のトリック

ところで「包括指定」
規制反対を主張している人たちの間でも気づいていない人がいるようですけれど、「包括指定」という言葉は、その言葉の内容と実態が一致していません。「有害情報」という言葉がその言葉の内容と実態が一致していないのと同じです。

結局、言葉のトリックですよね。

実は、包括「指定」という言葉ではあっても、誰も「指定」をしません、「包括指定」制度は。指定権者がいないのです。
個別指定制度では知事だけが指定権があります。知事以外の人が勝手に指定することはできません。しかも、東京都の場合、現在は「緊急指定権」が無く、指定に際しては健全育成審査会に諮問しなければならない義務があります。

しかし、「包括指定」制度では、指定権限者がいません。誰でも「有害図書」と「認定」できます。しかも、自分一人の判断で「認定」でき、学識経験者や専門家などに諮問する義務もありません。

しかも、「包括指定」制度は、「有害図書」の認定は権限ではなく「義務」です。誰もが条例に基づいて「有害図書」を判断できのすが、同時に、誰もが条例に基づいて「有害情報」であるか否かの判断をしなければなりません。

結局は、すべての個人ひとりひとりが、知事がやってきたのと同様、「有害情報」であるかどうかを判断し、「認定」でき、「認定」しなければならない。そういう制度です。

ですから、「包括指定」ということばをあえて正確に書くなら、「指定者無制限個別認定義務」とでも言うべきでしょうか。