最大定数格差5倍の参議院選挙は「無効」

選挙棄権派の方で「投票に参加することは自民党政権を支えることにつながる」と言う人います。その主張は正論だと思います。
たしかに、今回の参議院選挙は、違憲であり無効状態で実施されている選挙です。投票にいくことは、ある意味で、自民党政権の維持に協力することになります。
しかし、じゃあどうやってその政治を変えるのか、政治を変える方法が他にあるのか、という問題は残ります。
私は、憲法解釈上選挙が無効でも、投票に行きます。棄権は最後の手段であり、民主主義を支持するという意思表示が必要だと考えるからです。
実は、投票以外の方法で政治を変える方法がひとつだけあります。
それはテロです。
かつて大日本帝国では現職総理大臣が刺し殺された例があります。そういう政治改革の方法もあります。*1
しかし、テロには、民衆を支配する力はあっても、政治を大きく変える力ありません。金槌は釘を打つことはできても、風を起こし草原の草を揺らすことはできない。それと同じことです。

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2004年1月14日、一票の格差が問われた「議員定数不均衡訴訟」で最高裁は、一票の格差が5倍を超えた3年前の参院選について合憲と判断しました。
埼玉県民が1票投票箱に入れると、鳥取県民と高知県民は5票入れることができるという状態*2です。
最少得票当選者の鳥取や高知の議員よりも多くの票をとって落選した人が、都市部を中心に110人もいます。
もし、落選した110人が全員当選していたら、とっくに自民党は少数野党になり、とっくに政権交替が実現しているのです。
つまり、選挙制度自民党政権を維持し、選挙制度が政権交替を阻んでいる。
逆に言えば、今の不公平な違憲無効な選挙制度が運用されていなかったら、自民党は政権を維持することができない。
これはまぎれもない事実です。
最高裁判決には補足意見や追加補足意見があり、違憲と判断した裁判官のなかには選挙無効を言い渡すべきだという強い意見もありました。正論です。
前国会では定数是正案も野党のから上程されましたが、与党の審議拒否(牛歩よりも最悪最低!)により棚上げされ、定数是正はなされず結局先送り。
最高裁判決の後に出た新聞社説はこうです。

朝日新聞参院の怠慢と無法」「いまの参院は、民主主義を支える立法府の名に値するのだろうか」
毎日新聞 「憲法違反の選挙を行うのか」
北海道新聞 「これでは違憲の府」になりかねない

蛇足ですが、読売新聞の社説は「違憲だからむしろ憲法改正を」だそうです。
読売の論説主幹は幼稚園児か? 読売なんか購読やめちゃえ。

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*1:もちろん、テロを容認したり、すすめるつもりは私にはありません。そもそもテロによる政治改革は効果が失うモノに対する効果が期待できません。

*2: もちろん制度について言っているのではなく、「投票価値」という意味での比較です。

憲法廃止の改憲「論点整理案」 自民党の体制転覆計画

改憲参議院選挙の「公約」となっていますので、自由民主党が2004年6月10日に公表した憲法改正プロジェクトチーム「論点整理(案)」について一言、二言コメントしておきます。
女性のみなさんは、自民党改憲によって現行憲法の「両性の平等」が、少なくともいまの条文が無くなることは、知っていますか? 男女平等はいらないと思う人は自民党候補に一票入れればよいと思いますが、それで将来困ることになるかもしれないのは女性でしょう。
参院選挙で改憲が公約になっていることに、私たちはもっと恐怖してもよいはず。
7月11日という6年に一度だけ認められたのチャンスで私はNOを意思表示します。
以下、「論点整理(案)」を抜粋して転載。

憲法改正プロジェクトチーム「論点整理(案)」
平成16年6月10日
自由民主党政務調査会
憲法調査会
憲法改正プロジェクトチーム
http://www.janjan.jp/government/0406/0406266100/2.php?PHPSESSID=0708e6145aeb6dbb48cdb17a18926a6f
http://www.kenpoukaigi.gr.jp/seitoutou/20040610jiminkaikenPTronten2.htm

自衛のための戦力の保持を明記すること。
 
国の防衛及び非常事態における国民の協力義務を設けるべきである。
 
政教分離規定(現憲法20条3項)を、わが国の歴史と伝統を踏まえたものにすべきである。
 
婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべき
 
現在の二院制については、両院の権限や選挙制度が似かよったものとなっている現状をそのまま維持すべきではなく、何らかの改編が必要である。
 
議事の定足数(現憲法56条1項)は、削除すべきである。
 
文民条項(現憲法66条2項)は、削除すべきである。
 
最高裁判所裁判官の国民審査の制度(現憲法79条)は廃止
 
憲法第10章(最高法規)については、
・・・・
章としては削除すべきである
 
憲法第11章(補則)は、
・・・・
これを削除する

 
J憲法&少年Aで、改憲案について一言で本質を突いたコメントがあったので紹介しておきます。

★J憲法&少年A★
http://pdo.cocolog-nifty.com/happy/
June 28, 2004 自民党によるクーデターを阻止せよ
http://pdo.cocolog-nifty.com/happy/2004/06/post_22.html

これは自民党による保守反動クーデターに等しい。

 
どの提案も秩序のクーデター的破壊と言って良い内容ですが、ニュースになっていない点をひとつ紹介すると、「議事の定足数(現憲法56条1項)は、削除すべきである」という部分は、議会制民主主義を根底から消去せしめるものと言ってよいと思います。
たとえば、現在の国会運営は、衆参で数千ページに及ぶ議会運営規範という前例に従って運営されていますが、この規範の根拠の大半は現憲法56条1項に基いています。
大事なことは、過去50年間、現憲法56条1項で言う「定足」は、「野党が出席しているという前提」のことであると理解・解釈されているという点です。
ということはですよ、現憲法56条1項が改憲により削除されたら、過去50年に及ぶ国会運営の前提の多くがチャラになり、議席の多数を確保している政党が議会のすべての「新たな議会運営の前例」を作ることができるということになります。
簡単に言うと、協議省略、審議省略、記名投票省略、多数独裁、少数排除が合憲になり、法律案の上程から審議採決までのすべての立法プロセスを2時間以内に完了させることが憲法上できます。しかも野党の知らないうちに。
法案だけではなく、議員の除名案も、当人の知らないうちに成立したとしても違憲ではなくなります。まぁ与党が気に入らない議員をかたっぱしから除名すれば野党がいなくなって与党だけになるので定足数は満たされることになるわけですが。*1
改憲が実現したら、強行採決さえ無くなるでしょうね。
強行採決は野党・国民の反対を押しきって採決することを意味しますが、定足数が無くなるわけですから、野党・国民の知らないうちに法案が提出され、野党・国民の知らないうちに法案が審議され、野党・国民の知らないうちに法案が採決され、野党・国民の知らないうちに法案が成立可能になります、憲法上は。
異常な国会運営を許さない唯一最後の歯止めとなっていた法規が、現憲法56条1項。現憲法56条1項が無くなれば、法案審議プロセスで法案の問題点をマスメディアが報道して国民の反対世論でつぶれるということが一切無くなり、「法案が成立したテレビニュースを観て、はじめてその法案の存在や問題に気づく」のが日常的な状況になったとしても合憲。与党の議会運営関係者は、たとえ議会運営の問題が裁判になったとしても、憲法上の責任は問われ得なくなります。

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もうひとつだけ重要な問題点。
「現憲法第10章(最高法規)については、章としては削除すべきである」という部分。
憲法最高法規ではない????(゜Д゜)ポカーン
じゃあ憲法ってなに? という話。
笑い事じゃすまされない議論です。
裁判で法律の違憲性が論点になり、法律と憲法との矛盾が明らかになった時にどちらが優先されるかといえば、憲法が優先するがあたりまえです。少なくとも現憲法第10章というタテマエの上では。*2
憲法最高法規でないとすれば、なにが最高の規範なのか?
憲法よりも高い規範性を有する超憲法的法律、超憲法的条約、超憲法的規則、超憲法的命令、超憲法的勅令が存在したとしても違憲ではない、ということに憲法上なり得ます。
憲法学の定説以前の常識として、最高法規性こそが憲法憲法たらしめているのであって、憲法最高法規性が無いとすれば、最高の法規範が不確定となり、実力で法令解釈を運用でき法解釈の事実性を作る立場の人=時の政権、が最高の法規範を確定させることが憲法上可能になるでしょう。この改憲案が実現されれば。
憲法違反の可能性が高いと指摘された時に、「憲法最高法規ではない。よって憲法規定との間に疑義があってもかまわない」などという政府見解を公表しておわりになってしまったとしても、違憲ではないことになる。
憲法論争が起こるたびに、なんでもかんでも「憲法最高法規ではない。よって憲法規定との間に疑義があってもかまわない」という政府解釈で議論を阻まれるとすれば、憲法論争それ自体が消滅し、憲法が最高のルールではなく総理大臣が最高のルールだということが既成事実化するでしょう。憲法上は。
はっきり言って、これは「独裁への道」です。
以上の議論は、あくまでも可能性の議論であり、改憲改憲後の法改正までには時間的な猶予がありますが、可能性にすぎないとしてもまったく恐ろしく非常識な改憲案が参院選で公約になっているものだと思います。

平成16(2004)年6月 自由民主党発行
憲法改正のポイント」―憲法改正に向けての主な論点―
http://www.kenpoukaigi.gr.jp/seitoutou/200406jimin-kenpoukaiseinopoint.htm

 また、科学技術の進歩や少子・高齢化の進展など、新たな課題に的確に対応するとともに、人間の本質である社会性が個人の尊厳を支える「器」であることを踏まえて、家族や共同体が、「公共」の基本をなすものとして位置づけられた憲法でなくてはならないものと考えます。
歴史、伝統、文化に根ざした我が国固有の価値(すなわち「国柄」)や、日本人が元来有してきた道徳心など健全な常識を大切にし、同時に、日本国、日本人のアイデンティティ憲法の中に見いだし、憲法を通じて、国民の中に自然と「愛国心」が芽生えてくるような、そんな新しい憲法にしなければならないと考えています。

家族や共同体はもはや単一の価値観で憲法で規定し得るものではないということ。
多様な価値観を持つ個人を受け入れる「器」としての社会を規定することこそが、あるべき公共性であり、憲法で規定されるべきであること。
歴史、伝統、文化の価値は多様であり、単一の価値を前提にした規定は憲法にはふさわしくないということ。
日本国、日本人のアイデンティティ如何に関らず、思想、信条、民族、宗教、門地などの個人要素に関係無く、人間は人間としての権利があることを憲法で明記すべきこと。
日本にはたくさんの非日本的アイデンティティを持つ人たちが定住していて、そういう人の存在も含めてこの日本の社会が成立し、そうした多層性を内包した社会こそが国際社会の中で繁栄し得る社会であることを憲法で明記すべきこと。
以上の観点について「憲法改正のポイント」は欠落していますので、欠陥提案と考えるべきでしょう。
それから、仮に戦力保持を明記するなら*3、その前提として良心的兵役拒否権を明記することが憲法学の主説であるということを指摘しておきます。

参考情報として憲法会議にリンクを張っておきます。

憲法会議
http://www.kenpoukaigi.gr.jp/index.html
最新ニュース
http://www.kenpoukaigi.gr.jp/WHATsNEW.html

*1: 「暴力はやめろ!」と訴えている人を射殺して「暴力はやめろという声が無くなったから暴力など無いと考えられる」などとほざくテロリストを連想させます。

*2:実際には、日米安保地位協定については、安保と地位協定憲法に優先するとの司法判断が効力を持っていたりしますが。

*3:戦力保持を支持しているわけではありません。念のため。