自己責任論は正論を言う人に対する反動形成か

ビデオニュースの丸激で宮台氏が、人質になった取材記者やカメラマンを見ることで大手メディアの記者たちに「反動形成」が生じる、というようなことを言っていました。
反動形成*1というか、私は単なる嫉妬だと思っていました。あははは。

■ビデオニュース
http://www.videonews.com/
4月30日 今井紀明さん・郡山総一郎さん記者会見1回目(2004年4月30日・弁護士会館)映像
http://www.videonews.com/asx/fccj/043004_hostage1_300.asx
4月30日 今井紀明さん・郡山総一郎さん記者会見2回目(2004年4月30日・外国特派員協会)映像
http://www.videonews.com/asx/fccj/043004_hostage2_300.asx
・マル激トーク・オン・デマンド第162回「日本の針路が大きく間違っているようなこの感覚は何なのだろう」Bパートより

神保 今日の会見で気になったことは、自己責任についてという部分で、郡山さんが「自分たちには(批判は)あたらない。自分はジャーナリストとして誇りをもっている、だったかな。
宮台 危険を賭して現地の情報をとることこそ命がけでやることがジャーナリストの使命であるというようなことを。
神保 それはもう大・正・論なんだけれども……、聞いた側が…
宮台 高みの見物野郎からすると、むしろ後ろめたさもあったりしてですね、反発の対象になるんでしょうね。
神保 「なに言ってやがんだ」みたいなところがひとつ。それから日本は面白いところで、“ジャーナリスト”という言葉自体がなんか偉そうというか、ケンエンされると。「なんぼのもんじゃい」みたいなね。
宮台 あはははは。
神保 そういうことはあまり振りまわさない方がいいということもよくあって、“記者”とか“もの書き”とかね、横文字の立派そうな肩書は偉そうっていうイメージで叩かれるらしいですから、そういう意味では「ぼくはジャーナリストですから」っていうあの発言も今日の夜のニュース、それから週末に入って…でもゴールデンウイークだからあまりテレビ見ていないからどうなのかわかんないけれど、ワイドショー的なのかニュースなのかよくわからない番組が午前中に集中するでしょ、土日っていうのは。あの辺でどういう切り取り方をされるのかとっていうのは僕はちょっと心配しているんですけどね。
宮台 僕は神保さんの話を伺って、フロイト派的な反動形成っていう概念を思い出すんですよ。たとえばパウエルさんが発言したことがニュース23とかで報じられたりして、記者会見でも一部話題に出てましたけれど、バッシングに対して少し押し戻すような動きがあったりしてますけれど、そういう動きを見るにつけても、やはり記者の皆さんはインターナショナル、国際標準、あるいは近代市民社会の標準ではこういう反応が起るのに日本でだけこういう反応が起るということはやっぱり情報として入っていらっしゃるだろうし、神保さんが仰るように、在外のジャーナリストの方と違って、日本の記者クラブの中で、或いは放送法のある種の特許状なるものの中で安全地帯でふんぞり返っていられる人たちがメディアの主導権を握っている状況というのは、ある種の自分たちの自画像としてつきつけられているという面があって、痛いところを突かれていることは間違いないと思うんですよ。
神保 うーん。
宮台 痛いところを突かれているがゆえに激烈に叩こうとする、と。
神保 それはメディアも一般の市民も、という…。
宮台 ええ。そういうことですね。一般の市民もある意味では、例えば高遠さんがとりわけバッシングが集中しているところを見ますとね、やはりこれはフロイト的な反動形成みたいな図式で説明できるのかなあと思えます。
神保 彼女がおんなだっていうことも含めて…。
宮台 ひとつはおんなだっていうこともあると思うんですけれども、良くも悪しくも「自分ができないこと、自分とはまったく違うことをやっている奴だ! ひとりだけ正論を言う奴は許せない!」みたいな意識があるんじゃないでしょうか。それが正論だって言うのは、在外記者たちのリアクションだとか、海外のメディアのリアクションが入ってくるにつけても、「どうやら自分たちのリアクションが特殊らしいんだ」っていうことがわかってきちゃって、ますますカタクナになるという方向があるのかなと思いますね。
神保 つまり、自分がたいしたことは出来ていないということを心の底で知っている奴に限って、まあたいしたことなのかどうかわからないけれど、なにかやっている人間に対しては叩きたいという動機が生じていると。
宮台 アメリカ政府のケツを舐めている日本政府のケツを舐めている日本のメディアで、そのことを今回の場面ほどつきつけられていることってあまり無かったと思うんですよ、むしろ。人質事件というまったく意外な切り口で、自分たちの自画像が映ってしまったという気がします。

一目惚れした女の子が、彼があまりにも完璧にタイプな男だったために素直になれずに「あんたなんか大嫌い」と叫んで平手うちをくらわす、的なベタなストーリーの少女漫画って今でもあるのかわかりませんが、そんな感じでしょうか。
丸激の議論を2ちゃんねる語に翻訳すると、こういう感じ。

嫉妬は醜いよ>人質叩き派クン
ダメな自分を認めて自分の気持ちに素直になればあ?
 
高遠さん>>>>>>>>>>>>>嫉妬マスコミ>>激嫉妬ダメ2ちゃんねらー

ただし、誰でも嫉妬という感情は自分も含めて持ち得るわけで、なんでもかんでも嫉妬や「反動形成」という言葉で説明されるとしたらアレだなぁとは思いました。(今回の丸激ではそういうことではないとは思いますが)
人質になっていた方のある意味での「気高さ」を素直に評価したうえで、「行っても良いがもっと勉強や準備をしてから行くべきだった」などと議論している人の態度は、反動形成だけでは説明できません。
対して、志を素直に評価せず正論を語る人に反動的にバッシングしている人の態度は反動形成で説明できる、ということなのかなと思いました。

Google 検索: reaction formation 反動形成

 

米国人の“善意”拒む 人質航空運賃で在米大使館  2004/05/04 02:00
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20040504&j=0071&k=200405042779

イラク日本人人質事件で、日本政府が解放された人質3人に航空運賃を請求する方針を知った米国人が、ワシントンの日本大使館に抗議の手紙とともに、航空運賃として2000ドル(約22万円)の小切手を送ったところ、「渡すことはできない」と送り返されていたことが3日、分かった。
この米国人はボストン郊外に住む男性で、一部日本メディアの取材に対し「とてもショックだ」などと話している。大使館側は「第三者から経費を受け取ることはできないので、お返ししました」と話している。

友達から片想いしていた女の子へのラブレターを渡してくれと頼まれてラブレターをもらったけれど「こんなものは渡せん!」と友達につき返した、みたいな。(子どもかよ)
嫉妬をキーワードにして分析するとわかりやすくはなりますが、嫉妬というキーワードは便利すぎるというか、なんでも感情に還元させてしまったら議論にさせにくいというか、議論させる動機を与えるためにはかえって使いづらい部分もあるような気もします。
「反動形成」による説明もそういう危険はあるのかなと。

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*1: 嫉妬と言う言葉をフロイト派さんは嫉妬と言う言葉を使わずに反動形成と言い換えただけだという話もありますが真偽はわかりません。