もしもドイツの選挙制度で総選挙をしていたら
ブログ時評さんが、日本がもしドイツの選挙制度だったら今回の郵政選挙の結果がどうなっていたのかを調べています。
結果は自公与党が287議席、野党239議席(民主148議席、共産37議席、社民27議席、反郵政27議席)。
ドイツ総選挙と比べながら考えた [ブログ時評34]
http://dando.exblog.jp/3523765/日本と同様に「改革」がテーマでありながら、日本の自民党の大勝利とドイツのキ同盟の勝利とも言えない「辛勝」は、いずれも世界を驚かせた。「民意を歪めてまで安定政権をつくるのか」(Cityscape Blog)
http://cityscape.air-nifty.com/cityscape_blog/2005/09/post_ea66.html
がまとめているように、日本では自民党が得票率38.18%で296議席なのに、民主党が31.02%あって113議席しか獲得できなかった。「ドイツの選挙制度は小選挙区比例代表併用制で、日本の小選挙区比例代表並立制と名前が似ているが、全く違う制度」「小選挙区中心の日本の並立制とは違い、比例代表中心の制度といえる」。つまり、制度の違いで自民圧勝になった。
ブログ上では、では日本がドイツだったら結果はどう違ってくるのか、シミュレーションをしているサイトが散見される。違う国の制度を当てはめるのだから、前提の置き方によって色々と変わるので、私なりの計算をしてみようと思い立った。
(略)◆ドイツ式に計算した総選挙の議席数◆ 自民 民主 公明 共産 社民 反郵政 合計 北海道 7 8 2 2 1 0 20 東北 17 13 5 2 3 2 42 北関東 27 16 7 4 2 3 59 南関東 28 16 7 4 3 2 60 東京 23 12 5 4 2 2 48 北陸信越13 10 3 2 2 2 32 東海 21 19 7 3 2 2 54 近畿 34 22 12 8 4 3 83 中国 16 9 5 2 2 2 36 四国 11 6 3 2 1 1 24 九州 25 17 9 4 5 8 68 合計 222 148 65 37 27 27 526結果として自民党が単独過半数を占めることなど出来ず、過半数263に対して自公連立が287で成立するだけだ。「勝ちすぎ自民党」をドイツに持っていけばこの程度の勝利でしかない。逆に得票率13.25%で31議席しかない公明、7.25%で9議席の共産、5.49%で7議席の社民党がかなり大きな存在に変わる。ドイツでは連立交渉で苦労しているのがよく理解できる。
共産9、社民7の議席は、ドイツだと共産37、社民27になるというのが面白い。
書くまでもないことですが、民意のために選挙制度や政党があるのであって、政党や政党利権が存続するために選挙制度があるわけではありません。
日本国憲法第43条は、議員は「全国民の代表」と規定しており、議員は選挙区の代表ではないし、多数の代表でもないということになっています。
日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
議員は多数の得票を得て選ばれていますが、議員は少数意見を踏まえて全国民の利益を実現するために全力を尽さなければならない憲法上の義務が、国会議員にはあります。
議員に投票していない国民の利益をも議員は代表している。それが日本国憲法が想定する議員というものの本質であり、代議制民主主義です。
少数意見を尊重しない議員は議員としての資格が無いといわれる所以です。
日本国民は、9月の選挙で小選挙区制度の恐ろしさ、大党優位小党不利のドント方式の矛盾を学んだと思います。
“勝ちすぎ与党”の暴走によるツケは、これから何十年も生きなければならない若者の人生を蝕むことで支払われることになるでしょう。
選挙に行った人も、行かない人も、平等に選挙の結果の責任をとらされることになるのは言うまでもありません。
選挙に行きましょう。誰のためでもなく、自分のために。
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■追補(2005.10.14)
資料:郵政民営化世論操作戦略計画「IQの低い奴を味方につけろ」
http://d.hatena.ne.jp/kitano/20050829/p2
でB層に評価されたような方が「少数意見を尊重してはいけない」と書いてトラックバックをわざわざ送ってきたので(わはは)、少数意見を尊重する意味で、紹介しておきます。
少数意見を尊重してはいけない
http://plaza.rakuten.co.jp/munyu/
http://d.hatena.ne.jp/munyuu/20051012選挙制度や政党は、政治のプロとして政治を行うための専門家を選ぶための制度です。
民意のための道具ではありません。
制度には目的と手続きのふたつがあるというのは法学の常識で、民意の実現というのは目的で、議員を選ぶ手続きはその目的のためにあるわけです。
「選挙制度は議員を選ぶための制度である」との認識は手続きを説明しているにすぎないわけで、それを目的として認識しているということは、この人の頭の中では、議員の選出手続きそれ自体が目的化してしまっているということでしょう。
目的と手続きの違いがわからないのか、わかっていて意図的に混同しているのか。前者なら頭が悪いし、後者なら悪意の論理破綻者というところでしょうか。
とりあえず、貴重なご意見ありがとうございました。
ところで、日本のネオリベの人たちは「多数がすべてを獲得するという」アメリカの勝者総獲りという制度思想に毒されている傾向がありますが、日本の現行憲法体制はそのようにはなっておらず、日本国憲法上、議員は全国民の代表であって多数の代表ではないという規定になっている事実は前述した通りです。
ちなみに、9.11選挙の結果について、“多数世論”は後述の報道の通り“与党の勝ちすぎ”との認識を持っているようですが、そういう“多数世論”を尊重するならなおさら、与党は謙虚な政治を実行するべきでしょうね。
“独裁者”生む?小選挙区制の研究
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050915/mng_____tokuho__000.shtmlこれに国民からも懸念の声が上がりだした。十四日付日本経済新聞の世論調査では、圧勝の結果に「多すぎる」が64%になった。小選挙区で自民に投票した人でも「妥当」は57%にとどまり、「多すぎる」が37%になった。同日付読売新聞でも、首相が数を背景に強引な手法をとる不安を「感じる」人は63%を占めた。
これら世論調査で一転して、自民圧勝に警戒感が強まっていることについて、岩渕氏は「勝ちすぎという有権者の直感は当たっている」と分析。郵政民営化以外の問題でも圧勝を背景に「都合のいい時だけ、世論が味方しているとのやり方をするのではないか」と危惧(きぐ)する。その上で「健全な民主主義を運営するなら、この制度の中で、大量の死に票が出ていることを踏まえて政権を運営しないと、多数決の横暴になりかねない」と注文をつける。
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