毎日新聞が名誉棄損で新潮社などに損害賠償訴訟提訴

『「毎日社長拉致」で新聞が書けなかった「社内抗争」と「ホモ写真」』という記事に我慢できなかった毎日新聞と社長が新潮社と森功氏を訴えたニュース。
森功氏はガルマ・ザビ大佐とは関係ありません。

名誉棄損で新潮社を提訴=監禁事件めぐる報道−毎日新聞社長ら・東京地裁 13日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040413-00000315-jij-soci
毎日新聞社>社長監禁事件の報道で新潮社を提訴 13日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040414-00002026-mai-soci
毎日新聞が新潮社を提訴 社長拉致事件の記事めぐり 13日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040413-00000157-kyodo-ent

社長の監禁事件を報じた週刊新潮の記事で名誉を傷つけられたとして毎日新聞社と斎藤明社長が13日、発行元の新潮社などに約4900万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
訴状によると、週刊新潮3月11日号は、1月に発生した斎藤社長の監禁事件に関する記事で、事件の背景に社内抗争があるとし、斎藤社長が監禁中に屈辱的な写真を撮られた被害について必要以上に詳細に報じた。
提訴について週刊新潮編集部は「報道機関が『言論には言論で』の原則を自ら捨てるのは悲しい行為」とコメント。毎日新聞社社長室は「表現の自由は最大限保障されるべきだが、記事は社会的に許される限度を超えている」としている。

メールマガジン新潮社「週刊新潮」目次情報 2004年3月11日号
http://www.melma.com/mag/90/m00016390/a00000172.html
週刊新潮2004年3月11日号の目次
http://will2future.nexuswebs.net/shukanshincho/20040311/

「『言論には言論で』の原則を自ら捨てるのは悲しい行為」という週刊新潮編集部の言い分はもっともですが、同性愛に対する偏見を是認するような週刊新潮の記事というのも困ったものです。
メディアの権力者が準公人として監視対象になることは、ジャーナリズムの観点から当然のことですが、じゃあメディアの権力者の何を監視すべきなのかというと、言動の矛盾であったり、報道についての言動であったりということだろうと思うのですよ。
社内抗争の対応能力については報道には一定の合理性があったと思いますけれど、ホモ写真はどうなんでしょうか。
仮に、セクシャルハラスメントの事実があったとすれば、同性愛だとしても異性愛のそれと同様、これは地位上の権力関係を利用した私的関係の強要ということで問題ですけれど、あの記事はセクシャルハラスメントと言えるんでしょうか? どうもそこら辺が疑問だったりします。
そしてそういう問題が仮にあったとして、裁判に訴えて問題を解決するという毎日新聞社の判断がはたしてベストだったのか。『言論には言論で』の原則を自ら捨てるという批判もありますが、他の方法がほんとうに無かったのか。
裁判を提訴したとにより、結果的に、裁判所の権威に対して、少なくとも読者の議論と判断への依存よりも大きく依存したという結果を残すことになるわけで、それは長い目で見ると、メディアにとって良くない環境を作るのではないかという危惧が私にはあります。
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続・ブラックウォーター事件

田中宇氏が指摘したニュースソース。見落していたので追補。

襲撃された米国人は食糧運搬などしていなかった
4人が攻撃されていた間、近くに駐屯していた米軍部隊は動かなかった。
http://www.csmonitor.com/2004/0405/p09s02-coop.html
http://www.upi.com/view.cfm?StoryID=20040331-042515-7852r

偽装偵察どころか、イラク人に襲撃させる「疑似餌」だった可能性もあるという情報。
仲間であるはずの傭兵4人を「疑似餌」にするという説はすぐには信じられないですが、説が正しいとしたら、襲撃写真を見た時に受けるのと同じぐらい米軍も冷酷非道だったということになりそうです。
そういう冷酷非道なことをしているかもしれないという可能性を持っても尚、こうした軍事活動をしなければならない占領統治に日本政府が参加しなければならないのか、疑問です。

正規軍兵力を増やせないため、国防総省は、アメリカやイギリス、南アフリカなどにある傭兵会社と契約し、2万人の非正規戦闘員を雇用。
http://www.theage.com.au/articles/2004/04/08/1081326867174.html

2万人もいたのか。
傭兵の給料は年給で平均1500万円程度だそうですから、人件費だけで単純計算すると3000億円の経費がかかっている計算になります。もちろん作戦行動や武装経費その他で別途金がかかることは間違いないわけで、それもあわせると一体いくらの税金が使われているのか。
その予算を全部イラクの水道建設工事事業にまわしたら、全都市で恒久的水道を作ることができるし、イラク人の雇用、経済は好転するし、30億円使って自衛隊が車で一時的に水配りする必要もありません。
アメリカも日本も、本来の使い方から逸脱した金のムダ使いをしているとしか考えようが無いですね。
平時ではムダでできないことを、戦争とか人道復興支援とかの名目で、合理性も正当性も無い事業で特定軍需産業のために税金を消尽しているという、まさに戦争中毒者の禁断症状をおさえるだけの役目しか占領政府も米政府も日本国政府も果たしていない。
こんな政府を作ったどうしようもない連中に、選挙で権力を承認した国民(棄権者を含む)がどうしようもないアホであり、アホ国民に選挙の判断材料情報を適切に提供せずアホ状態を増幅してきたメディアの責任も大きい、という以外の感想は無いです。

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イラク日本人人質事件。ケダモノと人間を再発見

ネットでいくつか意見を読みましたが、この事件も事件について語っている人の本性を映し出す鏡のような事件なのかもしれないなあ、と思った次第。
純一郎ちゃんやメガネっ娘外務大臣だけでなく、一般市民でも、事件についてアレコレ書いている中で、書いている人の底の人格というか、人間性というか、本性というか、普段は筋の通った鋭いコトを書いたり言ったりしている“ように見える”人が、実は人の生命の重みをカケラほどにも感じていない「常識人のようでいて心はケダモノ」な奴だったり、逆に、普段はポツリポツリとしか書かない人が人間の生命の重みを深く洞察していたりして…。
人間関係の修正や、良い意味での「心の知人から他人へ格下げ」または「他人から心の知人に格上げ」ができて、目からウロコってところです。特定個人名をあげての評価はあえてしません。

派兵の大義

それと、「撤退するな」とか「撤退しないと明言したことは評価できる」とかって、派兵を命令したコイズミが言うならともかく、一般の人が言えば言うほど主戦派の焦燥をより強く感じてしまって、失笑を禁じ得ないのは私だけでしょうか?
私は、「撤退するな」ではなく「派兵が間違い」という立場です。
そもそもこの戦争には大義もクソも無いのであって、派兵の大義は人質事件が発生してからの議論ではなく、派兵前の議論。
もちろん、だからといって既成事実としての派兵を既成事実として認めるべきだということにはならないのは当然で、自己の自由意思で撤退できる権限を持つ人は、撤退できたのに合理的理由無しで撤退しなかったという不作為の作為責任を免れることはできません。
今回の事件に照らせば、起きてはならないことですが、なにもしないことで殺されるかもしれないと知りつつ、且つ、合理的理由無しで何もしなかったら、それは「不作為の未必の故意」であって、結果責任は当然に問われるべきでしょう。

邦人保護は政府の義務

政府は邦人保護の義務が無いとか、本人が危険承認したのだから保護しなくてよい、保護すべきではないということを書いている人がいますが、単に法律を知らないだけのおマヌケちゃんですので。

政府の邦人保護の根拠法として、まず内閣法に

内閣法第十五条
内閣官房内閣危機管理監置き、危機管理(国民の生命、身体又は財産に重大な被害が生じ、又は生じるおそれがある緊急の事態への対処及び当該事態の発生の防止をいう。)に関するもの(国の防衛に関するものを除く。)を統理する。

という規定があります。
また、外務省設置法には、

外務省設置法第四条九項
海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること

との規定があります。
さらに外務省組織令に大臣官房の所掌事務として

三十七 海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること。

という規定があり、本人の責任の有無に関らず、政府には所掌事務を司る法的義務が課せられています。
また、外務省組織令第二十九条は、邦人保護課の所掌事務として、

一 海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全並びに財産の保護に係る外交政策に関すること。
二 海外における邦人の財産の保護に関すること
三 海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること。
四 海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全並びに財産の保護に関する条約その他の国際約束の締結の準備及びその実施に関すること。

との規定があります。
これらの規定は、“政府自身の国会答弁”によれば政府の所掌事務の処理の義務を課したルールであり、本人の責任の有無に関らず、政府にはイラクにおける邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関する措置を講じる義務があります。
こうした作為義務を政府があえてしない「不作為の作為」を実施するためには、今回の場合は撤兵できてもしないということですが、「不作為の作為の合理的理由」が必要です。
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不作為の作為の合理性について

「不作為の合理的理由」については、大きく分類してふたつの考え方があります。

1 人道復興目的だから合理的だという目的的合理性論の考え方。
2 犯罪者と交渉すべきではないという非妥協ルールの合理性。

1は、目的が正しければいかなる手段も正しいというかつてファシストで流行した滅茶苦茶な理論で、常識的理性を持った学者は誰も相手にしませんが、アホ政治家やアホネットブロガーや腰巾着学者や腰巾着文化人だけが、酒に酔った酔っ払いのようにひとりで騒いで盛りあがっているという状態。

2の「非妥協ルール」は、テロリズムに対する姿勢として国際的にもイギリスのサッチャー政権以降大国を中心に確立されたルールと言われていて、4月11月のサンデープロジェクトに出演した佐々ナントカの政府関係者が、妥協しないことは正しいとしきりに言っていました。
しかし、非妥協ルールは、大国が小国や少数民族に対し、大国の理不尽な要求を飲ませる上であらかじめ非対称戦を封じるため、強者の弱者支配正当化の「法の道具」として長年使われてきたという事実が一方であります。
大国が軍事力を使ってマイノリティや小国を抑圧し、それに対してマイノリティや小国が抗議すると非妥協ルールを使って「交渉には応じない」と言い、交渉が決裂してマイノリティや小国が非対称戦をはじめると非妥協ルールを使って交渉決裂と暴力を非難する。
要するに、軍事的な絶対的優位を正当化する道具として非妥協ルールは使われているという実態のなかで、今回も、本来は正しい主張、と言っては語弊があるかもしれませんが日本として主体的に判断すべき主張を非妥協ルールで封じ込めるという構図がイラクファルージャで発生しているわけです。
こうした事件や大国の非妥協ルール適用は、世界中で起きているわけですよ。
全世界で発生している軍事大国の非軍事国に対する軍事的抑圧を正当化し、その大国の所業によって非軍事国から軍事組織が出現し、非対称戦が世界中で勃発し、非対称戦を背景とした政治交渉を遮断して軍事的優位による国際的地位を確保するために非妥協ルールで和平交渉などを封じ込める。
こういうある種の悪循環の現実を是認する効果にしかならないわけですよ、非妥協ルールを肯定してイラクにおける軍事占領を続行するということは。
それを「国際社会も認めたルールです」っていうのは、イラク攻撃は国際社会が認めたことですと言う屁理屈と同じぐらい屁理屈であって、米英日という軍事大国だけが「国際社会」とみなし、その軍事的優位性を肯定することにしかならないのではないかと思います
これは私だけの考えではなくて、国連でも非軍事小国が軍縮会議等で同様な発言を探せば出てくると思いますよ。
非妥協ルールを使う軍事大国だけが「国際社会」ではない。これだれははっきり言っておきます。
結論として、撤兵できてもしないという判断は、「不作為の作為の合理的理由」が存在せず、政治責任は問われるべきということです。